『ジャッキー・ブラウン』で成熟を見せたというのに、クエンティン・タランティーノはなかなか次の一手を打つ気配を見せず、ファンを待たせることになる。その間、なんと6年! ようやく彼を夢中にさせた新作のアイディアは、彼のミューズであるウマ・サーマンをヒロインに、究極の“復讐もの”をやっちまおう、というものだった。
その6年間、タランティーノが何をしていたかというと、主にふたつのことである。ひとつは、『イングロリアス・バスターズ』というタイトルの第二次世界大戦ミッションものの脚本執筆。これは後に同じタイトルで映画になった作品とはかなり異なり、「映画2、3本分に膨れあがって収拾がつかなくなった」。
そしてもうひとつが、「映画ファンという原点に戻って、とにかく見たい映画を好きなだけ見まくる」ということだった。この作業で彼は、西部劇の名手、ウィリアム・ウィットニー監督を「発見」して大ファンになる。そして10代のころ場末のグラインドハウス(B級娯楽映画=エクスプロイテーション映画を2本立てで上映する映画館)でよく見ていた映画、なかでも香港のショー・ブラザーズ映画を集中してほぼ全作、浴びるように見まくった。日本映画もサニー千葉(千葉真一)のアクションに『座頭市』などのチャンバラ、ヤクザ映画やアニメを見られるだけ見た。
そんな日々が1年半ほど続いたある日、タランティーノはあるパーティでサーマンと再会。「ねえクエンティン、『キル・ビル』はどうなったのよ?」と彼女は尋ねる。『キル・ビル』とは、『パルプ・フィクション』撮影中にいい関係を築いていたサーマンと「また組みたい」と思ったタランティーノが、彼女の主演でやろうと思いつき、話していたアイディアだった。ビルと彼に束ねられた暗殺集団から悲惨な目に遭わされたヒロインが、昏睡から覚めて復讐の旅に出る。マカロニ・ウエスタン的な展開だ。この話を気に入ったサーマンは「主人公がリンチされるとき、ウエディングドレスを着ているっていうのはどう?」と提案。そのあと最初の30ページを書いたタランティーノだったが、しばらくそのまま放置してあったのだ。
「次にやるのは戦争ものじゃない、これだ!」とひらめいたタランティーノは一気に(といっても1年半かけて)脚本を仕上げ、サーマンの出産を待ってクランクインした。
というわけで『キル・ビル』には、タランティーノがその執筆直前に見まくっていたエクスプロイテーション・ジャンル映画すべての影響が色濃く、鮮やかに反映されることになった。ウマ・サーマへの愛と自分の好きなジャンル映画への愛をこれでもかと詰め込んだ、タランティーノによるタランティーノのための映画愛映画。彼にとっては初めてのアクション映画でもあった。
「『キル・ビル』はまるで“クエンティン映画祭”みたいなものだよ(笑)。これは完璧に“復讐もの”の映画だけど、俺が愛してやまない、ありとあらゆるサブ・ジャンル映画のテイストが組み込まれているんだ。1本の映画の中に日本のサムライ映画『座頭市』や『影の軍団』、『修羅雪姫』スタイルのチャンバラがあり、ヤクザ映画があり、『殺し屋1』みたいな日本の新しいポップ・バイオレンスがある。『吼えろ!ドラゴン、起て!ジャガー』でジミー・ウォングがやったような70年代香港ショー・ブラザース映画のカンフー・ファイトがあり、セルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタンやイタリアン・ジャーロ(猟奇事件などを扱ったスリラーやホラー)の要素もぶち込んである。どれかひとつっていうんじゃなくて、いろんな娯楽映画のもたらす醍醐味すべてを味わうことができるんだ」