Jul 29, 2019 regular
#05

『キル・ビル』:タランティーノと復讐ジャンル映画祭

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若林 ゆり

映画・演劇ジャーナリスト。90年代に映画雑誌『PREMIERE(プレミア)日本版』の編集部で濃い5年間を過ごした後、フリーランスに。「ブラピ」の愛称を発明した本人であり、クエンティン・タランティーノとは’93年の初来日時に出会って意気投合、25年以上にわたって親交を温めている。『BRUTUS』2003年11月1日号「タランティーノによるタランティーノ特集号」では、音楽以外ほぼすべてのページを取材・執筆。現在は『週刊女性』、『映画.com』などで映画評やコラムを執筆。映画に負けないくらい演劇も愛し、『映画.com』でコラム「若林ゆり 舞台.com」を連載している。

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こだわりまくった血まみれアクション

この映画がどの映画の影響を受けたか、なんてすべて書いていたらページが足りなくなってしまうから、ここでは割愛。とにかく自分の愛とサービス精神の命じるまま、タランティーノは章ごとにガラリと違ったテイストを盛り込もうと、はりきった。アクションを監督するのは初めてなのにこだわりだけはすごいから、撮影は長引きに長引く。『パルプ・フィクション』をたった10週間で撮った彼が、北京のスタジオでの雪庭バトルシーン(ザ・ブライドV.S.オーレン、タランティーノいわく「サムライ・ミーツ・セルジオ・レオーネ的なシーン」)だけで8週間もかけた。総じて撮影は1年近く、47週にもおよぶことになったのだ。しかもクランクイン前にマーシャル・アーツや殺陣のトレーニングに3カ月を費やし「なんでこんなに辛い修行が必要なのかを肝に銘じてもらうため、毎日ランチのとき俺が最高だと思うアクション・シーンの上映会をやってたんだ」というから、念が入ってるじゃないか。

そうなれば当然、尺も長くなる。結局、『Kill Bill』はすべての撮影を終えた後、『Vol.1』『Vol.2』という2本の映画に別れるという決定がなされたのだった。完成した『Vol.1』と『Vol.2』は、まるで違うタイプの映画となった。お互いに補い合い、2本で完成する一大復讐エンターテインメントだ。

『Vol.1』はいわば、娯楽アクションのデパートだ。教会での惨劇から4年後、目覚めたザ・ブライドは怒りと恨みに燃え、「殺しのTo Doリスト」を書いてひとり、またひとりと復讐を果たしていく。『Vol.1』のクライマックスは、いまや日本の裏社会を牛耳るオーレン・イシイ(ルーシー・リュー)、その部下の凶暴JK、ゴーゴー夕張(栗山千明)、黒スーツの野郎ども“クレイジー88”と闘う青葉屋のシーン。ここでは香港のユエン・ウーピンがアクションのコーディネートを担当、日本と香港がごちゃ混ぜになったアクションを楽しめる。タランティーノらしい会話の妙も、キャラクターの味わいも封印し、アクションばかりをぎゅうぎゅう詰め。アドレナリン出まくりである。こんな映画を、ほかの誰が撮れるだろう?

タランティーノが親交のあった深作欣二監督に捧げた『Vol.1』には、全米公開バージョンと日本バージョンがある。「日本バージョンが完全版だよ。アメリカ版では血の色を黒くしたり、バイオレンス描写の刺激を少なくしなくちゃならなかった。だから、俺が日本映画から学んだ美学を日本の観客に見てもらえるのはうれしいよ。チャンバラ映画の鮮烈な血の色や過剰なバイオレンス描写は、やりすぎると現実味がなくなって残虐性を娯楽に変えるって教えてくれたんだ。それにこの映画の世界は現実じゃない。俺が映画で見てきた世界を再構築した映画世界だからね! そこには日本刀を持ち込めるエアラインがあるんだよ(笑)」