Aug 17, 2019 regular
#07

『イングロリアス・バスターズ』:タランティーノと歴史を負かす映画愛

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若林 ゆり

映画・演劇ジャーナリスト。90年代に映画雑誌『PREMIERE(プレミア)日本版』の編集部で濃い5年間を過ごした後、フリーランスに。「ブラピ」の愛称を発明した本人であり、クエンティン・タランティーノとは’93年の初来日時に出会って意気投合、25年以上にわたって親交を温めている。『BRUTUS』2003年11月1日号「タランティーノによるタランティーノ特集号」では、音楽以外ほぼすべてのページを取材・執筆。現在は『週刊女性』、『映画.com』などで映画評やコラムを執筆。映画に負けないくらい演劇も愛し、『映画.com』でコラム「若林ゆり 舞台.com」を連載している。

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クエンティン・タランティーノが『イングロリアス・バスターズ』の脚本を書き終えたのは、2008年7月8日。書き始めてからおよそ10年後のことだった。これはタランティーノがジャンル映画の中でもお気に入りのサブ・ジャンル、“ミッションを負った男たち”を彼流に究めたもの。ジャンルで言えば“戦争映画”であり“第二次世帯大戦映画”だがタランティーノにかかったら、映画愛が歴史さえも打ち負かす武器となる。

タランティーノにとってこの映画の萌芽は、ビデオ店員時代。“クエンティン特選 サブ・ジャンル”コーナーを作っていた彼は、なかでもエンツォ・G・カステラッリ監督の『地獄のバスターズ(Inglorious Bastars)』がお気に入りだった。そのときすでに「いつか俺のバージョンの『イングロリアス・バスターズ(栄誉なき野郎ども)』を撮るぞ」と心に決めていたという。だから実際に「ミッションを負った男たち」映画を書き始めるにあたって、彼はカステラッリ監督からタイトルの使用権を買っていた。

しかし、ふたを開ければタイトルは、綴り違いの『Inglourious Basters』。間違えたの? と訊くと「いや、わざとだよ。アルド・レイン(ブラッド・ピットが演じる中尉のキャラクター)が書くとああなるんだ。こっちのほうがワルそうでクールじゃん!」とのこと。だが、正直に言うと、彼の脚本はスペルミスだらけ。たとえばBostonをBostinと綴っていたりするから、本当に間違えたんじゃなかったのかどうかは疑わしいが(笑)。

最初に書き始めたのは『ジャッキー・ブラウン』の後だったのだが、書き進めるうちに話が膨れあがって3本分になってしまい、しばらく放置されていたのがこの脚本。2008年の1月、書きかけのノートに再び向かい合ったタランティーノは、書いてあった第1章と第2章をそのままに、大幅な換骨奪胎を試みる。これがうまくいった。半年ちょっとで脱稿した彼は、すぐさまプロデューサーのローレンス・ベンダーとソニー・スタジオへのプレゼンを行い、8月にはベルリンのバーベルスベルク撮影所を拠点に、準備をスタートさせた。なぜそんなに急いだかというと、カンヌ映画祭に出したかったからだ。

タランティーノ印の“ミッションを負った男たち”映画は、さまざまなサブ・ジャンルを持っている。ナチス占領下のフランスで、ミッションを負っているのは英米連合軍にあって特別任務(=ナチスをぶっ殺す)に従事する“ならず者部隊”、バスターズだ。率いるのはテネシー州出身のアルド・レイン中尉。“アパッチ”と呼ばれる彼は、部下たちに「ナチス100人の頭皮を剥いで俺んとこへ持ってこい」と命じる。「ナチスをぶっ殺す兵士たちを、正義のヒーローにはしたくなかった」とタランティーノが言うように、カッコいい一方で滑稽であり、おぞましくもある野郎どもである。そしてもうひとつの軸となるのが、マカロニ・ウエスタンさながらの“復讐劇”としてのストーリーだ。

家族をナチスに皆殺しにされ、ひとりだけ逃げ延びたユダヤ人の少女ショシャナ(メラニー・ロラン)は、パリで映画館のマダムに拾われ、密かに復讐を誓っている。タランティーノが脚本を完成させる決め手となったのは、このショシャナと、若きナチ兵士、フレデリック・ツォラー(ダニエル・ブリュール)のストーリーを思いついたことだったという。戦争の英雄であるツォラーがプロパガンダ映画のヒーローとなり、ショシャナの映画館でその映画のプレミアが行われる。バスターズ、その協力者、恋人たち、そしてヒットラーを含むナチ高官たち、全員がそこへ向かうのだ。