Aug 06, 2019 regular
#06

タランティーノと〈グラインドハウス〉の再生

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若林 ゆり

映画・演劇ジャーナリスト。90年代に映画雑誌『PREMIERE(プレミア)日本版』の編集部で濃い5年間を過ごした後、フリーランスに。「ブラピ」の愛称を発明した本人であり、クエンティン・タランティーノとは’93年の初来日時に出会って意気投合、25年以上にわたって親交を温めている。『BRUTUS』2003年11月1日号「タランティーノによるタランティーノ特集号」では、音楽以外ほぼすべてのページを取材・執筆。現在は『週刊女性』、『映画.com』などで映画評やコラムを執筆。映画に負けないくらい演劇も愛し、『映画.com』でコラム「若林ゆり 舞台.com」を連載している。

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タランティーノはよく、盟友で弟分の監督、ロバート・ロドリゲスを家に招いては一緒に映画を見たり、コレクションを自慢したりしていた。〈グラインドハウス〉の2本立てポスターや予告編を見せられ、そこでの体験がどんなものだったかを知ったロドリゲスは「俺たちふたりで1本ずつ撮って〈グラインドハウス〉の2本立てを再現しない?」とタランティーノに提案。このアイディアに大興奮したタランティーノは、大乗り気でプロジェクトをスタートさせた。

前のコラムと重複になるが、〈グラインドハウス〉とは’60年代~’70年代、B級キワモノ系商業映画(エクスプロイテーション映画)ばかりを2本立て、3本立てで上映していた映画館のことである。タランティーノは小さいころ住んでいたサウスベイ地区の〈カールソン・ツイン・シネマ〉に入り浸って「最高の体験」をしたが、タランティーノより少し若いロドリゲスは、〈グラインドハウス〉をリアルに体験してはいなかった。

「〈グラインドハウス〉でかかっていたのは、マカロニウエスタン、ブラックスプロイテーション、エロ映画にアクション、日本のチャンバラ時代劇に怪獣映画、香港カンフー、ホラーといった、とびきりワクワクさせるジャンル映画たちだった。俺はそういった映画のワイルドでセンセーショナルな側面に夢中だったよ。映画自体はもちろん、予告編、TVスポットもそうなんだ。すごくパンチが効いていて、扇情的で、一度見たらすぐに映画館にまた駆け込みたくなったものさ」

ロドリゲスからの提案は、タイミング的にあり得ないほど完璧だった。タランティーノは周期的にひとつのジャンルに集中して見まくる、独自の「ジャンル映画祭」を開催しているのだが、そのころはちょうど「スラッシャー映画祭」を終えたばかりだったのだ。ロドリゲスは「ゾンビ映画を作る」と決めていて、タランティーノは「なら、俺はスラッシャー映画だ」と即決。「ホラーの2本立て」というアイディアで固まった。

そしてロドリゲスは『プラネット・テラー』、タランティーノは『デス・プルーフ』をそれぞれ撮って、当時の映画館でやっていたようにフィルムに傷をつけたり、インパクト抜群のフェイク予告編までをパッケージにして『グラインドハウス』というひとつの作品にしたのだ。ただし、これはアメリカ国内でのこと。2本立てにするため削りたくないシーンまで削ったこともあり、国外ではそれぞれの作品を独立した形で公開することになった。

「〈グラインドハウス〉映画は予算がないからフィルムも少数しかプリントされなくて、それが全米を巡業して回るから、傷だらけのヒドイ状態が当たり前でさ。エロい部分だけ映写技師に盗まれてなくなってたり、リールが飛んだり順番が違ったりなんてこともザラだった。でもホントに面白かったんだ。たがが外れてて、セクシーでワイルドで、残忍さがハンパなかったりしてさ。『マジかよこれ!』なんて信じられないほどぶっ飛んだ(笑)。俺たちはこの“体験”をパッケージとして、いまの映画ファンに届けたいと思った。シネコンなんかが逆立ちしたって与えられないひと晩のお楽しみを、自分たち流の新しいものとして再生したかったんだよ」