私はなぜテロリズムの映画を作り続けるのか
――モーロ事件に関係するものだけではなく、監督の作品にはテロリズムが大きな要素として存在していますね。
そうです。私はテロリズムについて繰り返し映画を作り続けて主題にしています。『肉体の悪魔』(1986)という作品では、主人公はテロリストと婚約していたのですが、最終的には結婚しないという選択が描かれています。長い時間をかけて、テロリズムに関していろいろな形で作品を作ってきたわけですが、私自身がテロリストだったことはありません。映画界にはそういう人もいるのですが、私にはそうした経験は全くない。
――テロリズムに惹かれる理由はなんでしょうか?
テロリズムが、イタリアの政治において重要な選択に大きな影響を与え続けてきたという事実と、それが時代を経て消滅していったという歴史があるわけですね。それから個人的に極左だったという政治的信条も理由に含まれていると思う。日本でもあの時代に政治的な信念を表明する手段としてテロリズムがあったと思いますが、イタリアではそれがとても顕著だった。
――『夜の外側』では、事件に関わるあらゆる階層の人々を分け隔てなく描いており、その複眼の視点を感動的に見ていました。
2018年はちょうど、モーロ事件から40年にあたりました。そこで同じテーマを別のバージョンで描こうということで、この映画に着手しました。いつも私は外側からテロリズムを眺めてきたので、今回はモーロ事件を〈外側〉から見るという形で作ることにしました。