Aug 13, 2016

インタビュー1343

『波の数だけ抱きしめて』の最初の脚本では別所くんの役が主人公だったんです。

ホイチョイ・プロダクションズ 馬場康夫 ロングインタビュー
第3回

『私をスキーに連れてって』(’87年)からはじまった80s伝説、ホイチョイ青春3部作。メガホンを取ったのはホイチョイ・プロダクションズ代表の馬場康夫。2016年、夏到来に合わせ湘南の海で『彼女が水着にきがえたら』(’89年)『波の数だけ抱きしめて』(’91年)を回想してもらった。2万字に迫る独占ノーカットロングインタビューを3回に分けてお届けする。

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インタビュー・文/栗本斉 写真/石森孝一
取材場所/神奈川県葉山町

 

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――『波の数だけ抱きしめて』のほうの撮影はスムーズに進んだのですか。

そうですね。9月公開だったんですが、最後に撮っていたのがやっぱりゴールデンウィーク明けくらいだったので、『彼女が水着にきがえたら』の時よりはまだマシでしたね。この映画もすぐに企画が進みました。最初はよく言われる三部作で終わらせるつもりはなかったんですけれど、なんとなく3本でいいんじゃないっていう話になって。ほかにもいろんな企画があったんですけども、こういう題材になりました。この話っていちばん地味でしょう。だって、スキーやジェット・スキーみたいなアクション・シーンもないし、せいぜい急いで中継局の機械を届けるというくらい(笑)。

――そう言われると、3作の中では趣が違いますね。

ラジオを中継局で並べて繋いでいくっていう話ですが、実際にこういうことを考えていた方がいらっしゃって、1982年頃にお会いしているんですよ。学生ではなくプロの方ですけれどね。FM Bananaという実在したFM局をモデルにしています。『波の数だけ抱きしめて』は、1991年の時点で「9年前の湘南はよかったね」っていっている映画なんですよ。ちょうど1990年頃って、辻堂あたりは大幅に護岸工事をやってビーチを完全に変えちゃったってことがあったから、実は湘南ではほとんど撮っていないんです。あきらかに湘南だとわかるシーン以外は、千葉の千倉で合宿して撮りました。茅ヶ崎あたりのイメージで、セットを作ったりしています。気付いている人もいたでしょうがオレンジ色のサーフショップは九十九里ですし。

――そこは、うまく組み合わされているんですね。

そうですね。誰もがわかる拠点みたいなのは湘南ですけれどね。例えばタベルナ ロンディーノっていう今でもあるイタリアン・レストランの看板にアンテナを付けていたり、逗子マリーナの店とか江ノ島の展望台のところとか、なんとなくそこだってわかるところは湘南でロケをしています。魚屋は、逗子マリーナ入口の小坪にある店ですね。名前は違いますけど、今でもあると思いますよ。あと、サーフィンの波待ちしているのも、江ノ島が映っているから茅ヶ崎の沖まで出て撮っていますね。こんなところまで、サーフィンで出るわけないだろうってくらい出ちゃっていますけど(笑)。ちょっと湘南のサーファーをバカにしていますよね。

――『波の数だけ抱きしめて』は1991年公開ですが、なぜリアルアイムではなく1982年という設定にしたんですか。

1991年に1982年を振り返るっていうのは、実はすごく意味があるんです。ジョージ・ルーカスが『アメリカン・グラフィティ』を撮ったのは1972年ですけども、その時のコピーが「1962年の夏、あなたはどこにいましたか」っていうものだったんです。70年代の頭っていうのは、ベトナム戦争がめちゃくちゃ激しい時で、反戦歌が盛んに作られた時代じゃないですか。だから、古き良きアメリカン・ポップスの黄金時代を振り返るイメージがあったと思うんですよ。『波の数だけ抱きしめて』も同じように、一番いい時代の湘南を振り返るっていうのもありじゃんっていって、企画を持っていきましたね。

――舞台は1982年の湘南という設定ですから、まさに馬場さんが遊んでいた頃の風景ということですよね。

いわゆる第二次サーフィン・ブームの末期の頃ですね。日本では1979年に『ビッグ・ウェンズデー』というサーファーが主人公の映画が公開されて、その前の年に雑誌『POPEYE』がサーフィン特集やったりして、なんかサーフィンでイケてるよねっていう雰囲気になっていたんです。でも、サーフィンが流行った本当のきっかけは、ベトナム戦争なんですよ。戦争が終わって疲れた兵隊たちがアメリカに戻ってきた。そして、心が病んでいたから、なにかフィジカルなことがやりたいなっていうことで、一気にフリスビー、スノーボード、マウンテン・バイクといったものが盛んになって、みんながやり始めた。その時に、日本は海洋国で波があったので、みんなサーフィンに食いついたんですよ。

――馬場さんもそれでサーフィンを知ったんですか。

その前に、三笠くんという同級生が、高校の時から茶髪で真っ黒でサーフィンをやっていたんです。僕はまだサーフィンの意味を知らなかったけれども。だから、1971年くらいには、すでに彼は学校をサボって湘南に来てサーフィンやっていました。彼はどこで覚えたのかはわからないけれど、おそらく第一次サーフィン・ブームの後でしょうね。湘南だとMABO ROYALというお店をやっている小室正則さんという日本のサーファーの第一人者の方や、やっぱり加山雄三さんとかが最初でしょう。昔の新聞で見たことがあるんですけれども、加山さんは1966年ぐらいにはすでにハワイのスポーツであるサーフィンを日本に持ってきたという記事が出ていました。『ハワイの若大将』という1963年の映画でも、加山さんはすでにサーフィンをされていますからね。

――『波の数だけ抱きしめて』は、時代考証もよくできていますよね。

1980年から1982年の間って、本当に学生はみんなサーファー・ファッションだったんですよ。サーファー・ディスコっていうのもあって、映画の中でも六本木のナバーナが出てきますけれど、ブームは末期でしたがかなり流行っていましたからね。わけのわかんないトロピカル・ドリンクを飲んだりして(笑)。日本中の若者がサーファーを気取っていた時代ですよ。今はそんなのは、ありえないじゃないですか。この時はとにかくサーファーの数が多かったんです。あと、若者がアメリカに向いていた時期ですね。KIWIっていうFM局の名前も、アメリカ西海岸のラジオ局が全部“K”で始まるので、そうしようとか。

――衣装も、その当時のものを使っているんですか。

そうですね。ビッグコミックスピリッツで、“1982年当時の服を探しています”って告知したら、読者からたくさん送られてきたんですよ。それで、その中から古着を選んで使ったというものもありますよ。もちろん、衣装さんが集めてこられたものがメインではあるんですけれど。全員真っ黒に焼けているし、髪型なんかもこだわりましたね。あと、サーフィンが廃れかけ始めている頃なので、「今さらサーフィン?」みたいなシーンもありますし。

――あとはなんといっても、ミニFM局の設定なので、流れてくる音楽が印象的です。

『彼女が水着にきがえたら』の時とは違って、少し時間に余裕があったので、使えるかどうか権利の問題を全部クリアしてから選びました。特に、J.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」なんかは使いたかったから、事前に決めていましたね。

 

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Album「ユア・オンリー・ロンリー」
J.D.サウザー
1979年発表
Sony Music Labels

 

――実際、馬場さんは1982年当時に、こういう音楽を聴いていたんですか。

実は僕はガチガチのジャズ・ファンだったので、AORはほとんど聴いていませんでしたね。当時は興味がなかったから、撮影の時にじっくり聴き直しました。企画が決まった頃、ロッキング・オンから出ている『CUT』っていう雑誌に連載を持っていたご縁もあって、音楽評論家の渋谷陽一さんに相談に行ったことがあるんですよ。今こういう映画を考えています、1982年を取り上げたいと思っているんです、って言って。そしたら、渋谷さんから「その時代の音楽はクソだぞ、なんでそんな時代をやるの」って言われたことを覚えています(笑)。音楽的には産業ロックの時代ですからね。ただ『アメリカン・グラフィティ』に出てくる1962年のポップスも、商業ポップスじゃないですか。だからちょっとダブるところがあって悪くないなと思って。渋谷さんはそんなことを言われながらも、ちゃんと参考になるデータもしっかりとくださいましたし。

――流れる音楽はもちろん、アナログ・レコードを扱うシーンに思わずうなずいてしまいました。

スプレーをかけたり、カートリッジに1円玉を乗せるシーンとかね。僕は仕事柄、サウンドトラックのレコードをたくさん持っているんですが、80年代の終わりくらいから20年ほどはダンボールに入れたままで聴いていなかったんです。その後、2009年に家を建てて、その時にアナログ・プレイヤーを買い直して、レコードを聴き始めたら、やっぱり音が違うな、アナログに限るなって感じましたね。でも、曲が少ないなあと思ったら、B面に裏返すのを忘れていたんですよ(笑)。LPに裏面があることをすっかり忘れていて、さすがに自分でも情けなかったですね。

――中山美穂さんがレコードをかけるブースに、いつも海が映っているのが印象的です。

波を何度も映したかったというのは、たしかにありますね。今だったらガラスに映る波なんて、CG処理で済ませるじゃないですか。この当時は、まだコンピュータ・グラフィックスなんてないから、波が映る角度にガラスをはめたり、美術の方がすごく凝ってやってくださって、映り込みを自然に撮っているんです。

――あと、海が舞台の映画なのに、カラッと晴れてない印象が強いのですが、それは演出だったんでしょうか。

これは偶然ですね。天気のいいシーンを撮りたくても、なかなかうまくいかない。ただ僕は、湘南がいつもいい天気だっていう印象は、全くないんですよ。だから、日常を描いた映画なので、晴れたり曇ったりするのも全然いいんです。『彼女が水着にきがえたら』のほうは、設定として天気が悪い理由がないので撮影に苦労したんですが、その時の教訓を活かして雨のシーンを増やそうって、脚本家の一色くんとも話しましたね。晴れる確率は半々くらいだし、曇っている日に雨降らせばいいですから。

 

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――別所哲也さんは、以前ホイチョイ作品を回想してもらうインタビューで、この『波の数だけ抱きしめて』が代表作のひとつだっておっしゃっていました。

本人は知らないかもしれないけど、最初の脚本では、本当は別所くんの役が主人公なんですよ。普通に考えると、湘南の仲間を主人公にしたって面白くない。東京から湘南に行って、よそ者の視点で見るほうがドラマになりやすいんです。最後に自分の仕事を全部棒に振ってでも、「お前が好きだって言わなきゃだめだろう!」って言うじゃないですか。めちゃくちゃいい役なんですよ。でも、そこは織田裕二くんのすごいところだと思うんだけれども、プロットを見せた時に、こっちの役がいいと思ったんだって。自分はなかなか告白できなくて、やっと告白できたと思ったら、トンネルに入って肝心の告白が聞こえないっていう、その役がいいからってやりたいってきたんです。それで一色くんも僕もびっくりして、脚本をずいぶん直したんですよ。ただ、骨子は変わっていないから、別所くんは変わらずいい役なんですけれどね。だから、彼が代表作っていうのはわからなくはないですね。『波の数だけ抱きしめて』はほとんど彼が主役みたいな話ですから。

――そんなことがあったとは、面白い話ですね。

映画の公開初日に、どれくらいお客さんが入っているのか気になって、今はQフロントになっているところにあった渋谷宝塚劇場っていう映画館のオールナイトに行ったんです。そこそこ客が入っていてよかったよかったと思って帰ろうとしたら、後ろの席に別所くんがいて。「なにやってんの?」って聞いたら「観にきました!」って。映画館にお金払ってオールナイトで自分の映画を観に来るって、本当にいい役者だなあって思いましたね。

――別所さんは、『波の数だけ抱きしめて』の役がそのまま成長して、『メッセンジャー』の役になったんじゃないかって話をされています。

いや、そのつもりはないし、そう言った覚えも説明した記憶もないですけれど、さすが彼は頭がいいですね。たしかにそんな感じですから、全然間違ってないですよ。『メッセンジャー』の時も、主役にいいところを譲っていますし。『波の数だけ抱きしめて』から『メッセンジャー』までの9年間は、別所くんは日本一のフラレ役者として、あらゆる映画やドラマでフラレまくっていますからね。例えば、『魔女の条件』というドラマでは、松嶋菜々子さんと婚約しているのにタッキーに寝盗られるとか。

――別所さんだけでなく、基本的にみんないい役ですよね。

たしかに、阪田マサノブくんもいい役ですよね。彼はお笑いコンビをやっていたんですけれども、その後、コンビを解消してしばらく苦労していたんですよ。でも、すごくいい役者になって、いろんなところに出ていますね。今では信じられないけれど、音声さんから「滑舌が悪くて、なに言ってるかわからない」って、ずいぶん注意されていましたね。松下由樹さんもとてもいい役者なんですが、びっくりするくらいイメージが変わりましたね。彼女はもともと歌って踊れる人だったのに、今では殺人現場で検視官とか、警察の偉い人なんかを演じていますからね。当時からめちゃくちゃスタイルが良くてかわいい人でしたよ。この間もラジオのゲストに来てもらったんですけれど、ご本人は当時の印象からあまり変わっていなかったですね。

 

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――オープニングとエンディングの結婚式のシーンで、なぜ中山美穂さんがずいぶん年上の男性と結婚しているのかも不思議だったんですけれど。

ブレッド&バターの岩沢二弓さんのことですね。茅ヶ崎出身の湘南を代表するミュージシャンだからこそ、意味があるんです。それから、よくあんなおじさんと、って言われますけれども、オードリー・ヘップバーンの役どころを見ればわかります。彼女は、ほとんど年上のおじさんとくっついているんですよ。『昼下りの情事』のゲイリー・クーパーも『麗しのサブリナ』でのハンフリー・ボガードも20歳以上年上だし、『ローマの休日』のグレゴリー・ペックだって相当離れていますよね。いい女っていうのはだいたい、強かにお金持ちのおじさんと結婚するわけですよ。逆に男はいつまでも引きずっている。しかし、織田くんは本当にこんな情けない役をよくやってくれたなあって思いますね。たしかに情けない男の芝居は上手いんですよね。

――馬場さんの映画って、基本的に情けない男が出てきますよね。

男って男女関係においては、基本的に情けないんですよね。それは自分でも自覚していますよ(笑)。ただ、頼もしい女性が周りに多かったんだろうなあ。女のほうが男前、みたいなね。別所くんも、わざと情けない芝居をしてくれている。カッコよくないシーンもたくさんあるし、表情も含めて相当なコメディ演技をしてくれていますね。

――広告代理店ってカッコいい仕事だって言われていましたけれど、そこを皮肉っている感じはありますね。

そこは狙っていますね。別所くんのこの役は、吉岡卓也という名前になっているんですけれど、『彼女が水着にきがえたら』では吉岡文男という役名があるんですよ。実は、僕の映画には、文男と真理子という役名が必ず出てくるんですけれど、これは実在の人物なんです。高校生の時に撮った8ミリに最初に出演してくれたのが、吉岡文男と田中真理子っていうんですけれど、彼らに敬意を表して僕の映画には全作に名前が出ています。『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』なんて、田中真理子の葬式で始まって吉岡文男がサインをしていますからね。いまだに彼らとは仲良くて親友なんですけれども、役名だけでなく、実際に映画にも出演してもらっていますよ。

――それは、エキストラとしてですか。

そうです。一番顕著なのは、『彼女が水着にきがえたら』で織田裕二くんと伊武雅刀さんそれぞれ原田知世さんと伊藤かずえさんを口説いているレストランでは、奥でふたりが飯食っていますよ。他にも、吉岡は後ろのほうとかでけっこう映っていましたね。『波の数だけ抱きしめて』はあまりエキストラのシーンがないんですが、別所くんが会議でプレゼンテーションしている時にあくびをしているのが田中真理子ですよ。

――この映画は続編が観たいっていう意見もあるんですが、馬場さんはどう思われますか。

でも、少なくともこの物語の舞台の9年後、つまり1991年にどうなっているかはみんな知っているんですよね。中山美穂は金持ちそうなおじさんと結婚して、残りの4人はまだうだうだやっていて、これからどうしようかなんていっている。9年後だから30代前半という設定だった。今だと携帯電話やスマートフォンも普及しているから、絶対に同じ物語にはならない。だって、携帯電話があれば成立しないお話ですよ。電話かけて「今トンネル? ちょっと戻ってこいよ」とか、「お前のこと好きだよ」ってメール送って「じゃあ戻るわ」で終わっちゃう(笑)。

――たしかに、メールやLINEで済んでしまうし、FMもアプリで聴ける時代ですからね。

電波を飛ばすってどういうこと? ってね(笑)。だから、ある意味これは時代劇なんですよ。あの頃は、みんな苦労して工夫していたんですよね。だから、今ならネット上でどう展開するかとか、アプリを使うかとかそういう話になるでしょうね。今またこういう話を作るんだったら、ラジオ局を作るんじゃなくて、どこかの海岸でフェスをやろうって話になるんじゃないかな。それはそれで、面白そうですけれどね。