降旗監督のこだわりで変わったヒロインの設定
──降旗監督は戦後間もない頃に何度も観たフランス映画『舞踏会の手帖』(37年)のイメージを『追憶』に持ち込んだと聞いています。
『舞踏会の手帖』は夫に先立たれたヒロインが若かりし頃に舞踏会でダンスの相手を務めてくれた男性たちと再会し、舞踏会以降の彼らの苦い人生を知ることになるというシリアスな内容でしたね。実は降旗監督が最初に読んだシナリオでは、安藤サクラさんが演じた涼子はすでに死んでいるという設定でしたが、降旗監督の意見で涼子を生かして、主人公たちと再会する場面をつくることにしました。映画は映画監督がひとりでつくるものではありませんが、どうしても監督のカラーが強く出るものです。
降旗監督はある意味、ズルい監督です(笑)。プロデューサーも交えて何時間も打ち合わせしているときは黙っていて、打ち合わせが終わって酒を飲み出した頃を見計らって、「さっきのシーンはあれでいいんですか?」と僕が改めて聞くと「ダメですね」と言うんです。降旗監督とは何度か仕事をしているので、OKなときとダメなときが分かります(笑)。こちらが監督に聞いてしまった以上、直さないわけにはいきません。そんな風にして降旗監督の狙いが反映されたシナリオが完成したんです。映画を撮り終わってから「ノベライズを出しましょう」というお話をいただき、最初は「オリジナル脚本作ということでいいんじゃないですか」と断りました。
それで断るための方便として「10年前に書いた初稿をベースにした小説なら」と僕が口にしたところ、それでいいと言われ、断れなくなってしまった(笑)。そういうことがあって、映画とは異なる内容の小説版『追憶』が生まれたんです。
──シナリオと小説では文章スタイルが異なりますが、その点の難しさはありますか?
今、シナリオライターの仕事のほとんどが、すでにある小説をどう脚色するかということになります。その脚色の仕方にライターとしての資質が出るんです。原作小説を読み、その原作はどこに面白さがあるかを見つけることに関してはプロであるという意識があります。
でも、今回初めて小説を執筆して分かったのは、小説とシナリオはまったく別物だということでした。何が大きく違うかというと、シナリオはカメラで撮影し、マイクで録音できるものしか書くことができません。だからシナリオでは登場人物の心情を直接書くことはできないんです。「悲しい」という感情を表現するときには「うつむいてシャツの袖をまくった」みたいなト書きで伝えるしかない。でも、小説の場合は逆に心情を地の文として書いていくわけです。その部分はどうしてもシナリオを長年書いてきた癖が身に付いていたため、担当の編集者からは最初は何度も指摘されました。また、脚本は神の視点から描きますが、小説はその章の中心人物の視点から描くことになります。これもシナリオと小説との大きな違いでしょうね。この年齢で、いろいろ学びながら書き進めました(笑)。