May 19, 2017

インタビュー

映画『追憶』脚本と小説を執筆した青島武が語る、映画制作秘話と家族の定義

『あ・うん』(89年)、『鉄道員 ぽっぽや』(99年)など高倉健主演の数々の感動作を放ってきた降旗康男監督とカメラマン木村大作の二人が9年ぶりにタッグを組んだ映画『追憶』が現在公開中だ。岡田准一、小栗旬、柄本佑、安藤サクラといったこれからの日本映画界を担う実力派がそろったことでも話題を呼んでいる。
家庭の中に自分の居場所を見つけることができずにいた主人公たちの少年時代、そして悲しい過去を背負ったまま居場所探しを続ける現代と2つの時代を結ぶオリジナルストーリーを生み出したのが脚本家の青島武氏。シナリオの誕生から10年の歳月を要して完成した映画『追憶』の製作秘話、そしてノベライズとは異なる形で執筆された小説版『追憶』について、青島氏に語ってもらった。

 

──現在公開中の『追憶』ですが、小説版を読むと時代設定や舞台などずいぶん映画とは異なっていることに気づきます。『追憶』というオリジナル作品が生まれた経緯について教えてください。

映画監督でもある瀧本智行くんとの共作という形で、10年前にシナリオを書いたのが始まりでした。10年前といえばWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第1回大会で王貞治監督率いる日本代表が優勝を遂げ、大変盛り上がった頃でした。1966年生まれの瀧本くんが小学生のときに王さんがホームランの通算世界記録を樹立し、瀧本くんにとって少年時代の夏の思い出というと王さんの世界記録だったそうです。それがあって、王さんが世界記録を更新した1977年とWBC第1回大会が開かれた2006年を結ぶというアイデアが生まれました。

瀧本くんとはクリント・イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』(03年)みたいな作品にしたいねと話していたんですが、少年たちと30代の女性という設定は、実はある事件が元になっています。30代の女性が営むスナックが不良少年たちの溜まり場になって、傷害事件が起きたというものです。

事件をそのまま描いたら悲惨な結末の映画になってしまうので、観てくれた人たちにどこか希望の感じられるものにしようと生まれたのが『追憶』です。瀧本くんが初稿をまず書き、2人でキャッチボールしながらシナリオとして完成させたんです。

 

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──映画界のレジェンドとも言える降旗監督が『追憶』を映画化したわけですが、降旗監督は青島さんが脚本で参加した『あなたへ』(12年)の後、高倉健さん主演作をもう一本予定していたそうですね。

降旗監督がすでにしゃべっているから、公表しても大丈夫でしょう(笑)。高倉健さんが阿蘇山麓で鳥獣駆除の猟師をしているという内容で、高倉さんが子どもに生きるということを教えるというものでした。高倉さんが野生の鹿を仕留め、頸動脈を切り、川まで下ろすシーンを吹替えなしで撮ろうと降旗監督とは話していました。

大変残念なことに高倉さんが2014年に亡くなってこの企画は流れましたが、実現していたらとても見応えのある作品になっていたと思います。

──「生きる」というテーマは『追憶』にも通じるものを感じさせますね。そして、縁あって降旗監督が『追憶』を撮ることに。

瀧本くんは降旗監督の『鉄道員』の助監督を務め、僕は『あなたへ』に脚本家として参加していたことから、「あの2人が書いたシナリオか」ということで降旗監督は興味を持って読んでくださったようです。降旗監督の手に渡るまでは、それこそ『追憶』は流転を続けたんです。

最初にシナリオを書いていた頃は別の監督が予定されていたんですが、その企画が流れ、テレビ局のプロデューサーから「スペシャルドラマとして製作したい」と言われたこともありました。僕たちが知らない間に、すでに倒産してしまった製作会社が「これから製作するラインナップ」として債権者たちに見せる事業計画書の中に作品名を入れられていたこともありました(苦笑)。
そうしてシナリオを書いて8年が経ち、降旗監督が撮るという話が持ち上がり、映画界の大先輩であり、2人ともお世話になっている降旗さんなら、是非ということになったんです(笑)。

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