May 19, 2017 interview

映画『追憶』脚本と小説を執筆した青島武が語る、映画制作秘話と家族の定義

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価値観が共有できていればトラブルは起きない

 

──北野武監督のデビュー作『その男、凶暴につき』(89年)は脚本家の野沢尚さんが完成した映画を観て、自分が書いた脚本が大幅に変わっていることにショックを受け、同時に北野監督の才能を認めざるを得なかった―と振り返っています。シナリオライターという職業は、小説家とは違った苦労があるようですね。

監督と脚本家との関係性によっても、違ってきますね。シナリオを一緒に作っていく中で描こうとするものへの想いを共有できるか、共有できるまで徹底的にやり合わないと、撮影現場でこちらの意図していなかったものに変えられてしまうことになります。脚本がそのまま映画として完成することは、まずありません。ロケ地が変われば内容も変わるし、演じる俳優によって台詞の意味合いが変わったりもします。でも、監督と想いを共有できていれば、大きな問題にはなりません。想いが共有できるまで話し合うことのできない監督とは、僕は一緒に仕事はしないようにしています。

 

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──では小説とシナリオ、それぞれの面白さはどう感じていますか?

今回、初めて小説を書いてみて、「小説って大変だな」と実感しました(笑)。初めてだったせいもあるかもしれませんが、シナリオを書くスピードと小説を書くスピードは全然違うんです。シナリオだと1日何十ページも書き進められるんですが、小説だと1日数ページしか書けなかったりする。担当編集者からのアドバイスはありますが、やはり小説は自分ひとりで書くもので、責任もいっそう感じます。その点、シナリオの場合は完成した映画を観た人が「あのシーンが分かりづらい」といった批評をネットに載せても、「脚本ではちゃんと書いていたけど、監督がカットしたんだよ」と自己弁護できる(笑)。でも小説を書いてみて、改めてシナリオの面白さも実感できました。シナリオの面白さは「省略」なんです。それは映画の魅力でもある。ひとつのシーンが終わり、いきなり次のシーンへ空間的にも時間的にも飛躍することができる。小説でもできなくはありませんが、最低限の説明が必要になります。今回の小説執筆はシナリオライターとしてもいい体験になりました。

 

家族の在り方は、人それぞれ違っていい

 

──「otoCoto」ではクリエイターのみなさんに、青春時代の思い出の一冊や愛読書をお聞きしています。青島さんの読書体験について教えてください。

小学生の頃から本はずいぶん読んでいました。兄弟が多いこともあって、あまりオモチャは買ってもらえなかった。それで学校の図書室で本を借りて、2歳下の弟と競うようにして児童文学全集など読んでいましたね。本の後に挟んである貸し出しカードに弟の名前が先にあると、悔しかったなぁ(笑)。年間で250冊も借りて読んだこともあります。

上京して、映画学校に通うようになったんですが、その頃は「Wけんじ」の時代でした。丸山健二さんと中上健次さんです。この2人の作家を読まずして、映画学校には来るなという雰囲気でしたね。背伸びして、中上さんの『岬』や『枯木灘』を読みました。中上さんの小説は10代の頃は難解に感じられたんですが、最近になって『岬』を読み直したところ、難しい表現は使っていないし、簡潔な文章を積み重ねていて読みやすくて驚きました。社会に出ていろんなことを体験し、10代の頃とは違った読み方ができるのかもしれません。丸山健二さんは今なお文体を変えながら新しい挑戦を続けている作家ですが、20代や30代の頃に丸山さんが書いた文章は切れ味がとても鋭く、今読んでも古さを感じさせません。丸山さんの短編小説はお勧めです。『丸山健二全短篇集成』に収録されている『谷底』は谷底に落ちて動けなくなったスポーツカーを眺めている若者の1日が描かれているだけの話なんですが、地方で暮らす若者の哀しみが痛いほど伝わってきました。20歳前後のまだ何者にもなれずにいる当時の自分の心境とぴったり一致していたように思いますね。