「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家・蜷川幸雄が逝って、まもなく3年になる。蜷川は、晩年まで年間10本前後の舞台演出を手がけていたので、巨匠亡きいま、日本の演劇界は”お客を呼べる”演出家不足に直面中だ。
もっともそのお陰で、ここ数年英国演劇界の”旬”の才能が入れ替わり立ち替わり来日し、日本の俳優やスタッフと、ハイクオリティの舞台を創り出しているのも事実。サイモン・ゴドウィンは、そうした演出家の中で、もっとも高い評価を得ている若手エースだ。
岡田将生主演の『ハムレット』を演出するために、桜が咲き始めた東京にやって来た俊英は、ニナガワへオマージュを捧げることを忘れない、朗らかなジェントルマンだった。
——本国でも引く手あまたのサイモンさんが、ひと月半も腰を据えて日本で初めて演出に挑もうと思ったのはなぜですか。
冒険好きで、向こう見ずと言った方がいい性格だからかもしれないですね。未知の地に行って新しいコラボレーターと仕事をすることで、戯曲について必ず新しい発見があるものだし、それはお互いにとって、豊かな文化交流になるものなんですよ。同じ場所でも観光と仕事では、見え方はまったく異なるので、今回は新しい文化との対話ができる、非常に貴重な経験になる気がしています。
それにここ数年、僕の演出家仲間の何人かが日本で仕事をして、とてもいい時間を過ごせたと言っていることも、後押ししてくれました。しかも、蜷川幸雄さんが芸術監督だった劇場(シアターコクーン)からの招きですからね。
ロンドンで蜷川さんの演出作品をいくつか観て、僕はとても感銘を受けたんです。なんといっても、ビジュアル的に訴えかけてくるものがすごい。空間を壮大なスペクタクルとして描くことで、舞台に詩情があふれ出ているんです。つまり、作品が内包する感情を、非常に強く、大きく、視覚化することができているんですね。それは感情過多ということではなく、ある感情を、並外れた強度と美しさで描き出している、という意味です。そう、ちょうどこの(取材場所の庭園に流れる)滝のように、力強い美しさに満ちていて、一度見始めたら、目を逸らすのが難しくなるほど、観る者を没入させる催眠作用がある演出でした。
——英国演劇界にはいないタイプの演出家だったこともあり、英国でのニナガワの評価はほんとうに高いですね。では、サイモン・ゴドウィンは、どんなモチベーションから作品を創る演出家ですか。
そうですねぇ、できるだけ現代的に、同時代の観客に語りかけることを心がけています。古典であってもフレッシュで、ファニーなところもキープして、明るい陽の光と闇の間の、さまざまなコントラストをきちんと見せていくようにしています。「動き」も非常に重要視していて、俳優の身体のムーブメントを始め、そこで起こるアクションがすべて生き生きとして、物語全体が流動していくさまを見せることにこだわっています。英国の演劇は頭だけに偏りがちなので、そこから離れたい気持ちが、強いのかもしれません。
——以前はよく「英国の俳優は首から上しか動かさない」と揶揄されましたね。
そうなんです。ですから身体を使うことで、俳優たちが根強く持っているそうした演技方法を、いい意味で崩すことを考えています。部分ではなく全体的に身体をとらえ解放して、より自由に、想像力豊かに、遊び心を持って挑戦できるように、俳優を誘導しています。
だって、考えてみてくださいよ。自分以外の「別の誰かになる」って、とてつもなく異なる発想を実行に移す行為ですよ。たとえば僕が「日本人の通訳役」をやることになったら、頭で考えるだけではどうにもならない。首から下の身体も一緒に動員することで、何らかの手がかりを見つける可能性は、多少なりとも高まると思うんです。