Aug 24, 2017 interview

日本史上最大の野戦である「関ヶ原の戦い」を初めて映画化!原田眞人監督インタビュー

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天下分け目の合戦として有名な「関ヶ原の戦い」。だが、東軍西軍合わせて約18万人もの軍勢が動員されたスケールの大きさから、これまで一度も映画化されることがなかった。この難題に果敢に挑んでみせたのが、『クライマーズ・ハイ』(08年)や『日本のいちばん長い日』(15年)を成功させた原田眞人監督。実録群像劇を得意とする原田監督が映画『関ヶ原』の舞台裏を語った。

──司馬遼太郎の原作小説「関ケ原」は文庫本で3巻あります。この壮大な歴史ドラマを一本の映画にまとめるのは至難だったと思います。

大変でした。原作小説は、司馬先生のいわば「戦争と平和」を思わせる壮大な人間絵巻です。今回の形にする脚本づくりだけで3年を要し、改訂は20数稿に及びました。当初は4時間30分ほどの前後編での構成を予定していたんですが、途中から1本にまとめることになり、仕方なく削ったシーンが多いですね。合戦前のターニングポイントとなる「小山評定」は最後まで入れたかったんですが、尺の問題もあって関東でのエピソードは外しています。2時間29分にまとめるために、石田三成を中心にした物語にしています。

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──大河ドラマなどではスケールが大きすぎるがゆえにあっさりした描写で済まされてきた関ヶ原の戦いですが、今回の映画では合戦シーンを真正面から描いています。

前哨戦となる伏見城の攻防も描きたかったのですが、これは予算の都合で見送りました(笑)。伏見城攻めに予算を使うのなら、その分も関ヶ原の戦いをしっかり描こうと。伏見城の代わりにスタッフが力を注いでくれたのが、石田三成軍が拠点とした笹尾山陣地です。笹尾山は西軍の前線基地となった大垣城と三成の居城だった佐和山城の中間にある重要なポイント。恐らく一夜陣ではなく、事前に要塞化していたはずです。家康率いる東軍が大垣城に向かわなかった場合は、ここで迎え討つつもりだったと思います。それもあって美術班は、僕がイメージしている以上のロケセットを築き上げてくれたんです。現場に入ったキャストもみんな、笹尾山陣地を見て感動しました。今回の撮影は全体で2か月半あったんですが、そのうち4日間を笹尾山陣地での戦いを撮るためのスケジュールに使い、さらにその前の2日間は撮休にしてリハーサルに当てています。合戦シーンはすべて絵コンテを用意して、撮影を進めました。最初は「関ヶ原の戦いのような壮大な合戦をどう撮ればいいんだろう」と不安に駆られていたんですが、少しずつ撮り進めていくことでイメージが固まっていきました。姫路城をはじめ、普段なら撮影ができない場所でも撮影でき、またスタッフが一丸となって気概を見せてくれたことで、自分がイメージしていた通りのものを撮ることができました。

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──日本史上最大の野戦である「関ヶ原の戦い」の初めて映画化。男のロマンを感じさせます。

ロマンかどうかは分かりませんが、25年くらい前から『関ヶ原』を撮りたいとずっと思っていた想いをようやく叶えることはできました(笑)。日本の映画監督は誰も、あの黒澤明監督でさえやっていない題材だったことは確かです。黒澤監督は「影武者」(80年)や「乱」(85年)を晩年に撮っていますが、合戦シーンは今見直すとそれほどではない。黒澤監督といえばやはり「七人の侍」(54年)ですが、「七人の侍」に続く作品にしようという意識でスタッフには臨んでもらいました。今回、合戦シーンを撮る上で、レコンキスタの戦いを描いた「エル・シド」(61年)や「オーソン・ウェルズのフォルスタッフ」(66年)などの戦記映画を見直しました。司馬先生は原作小説の中で石田三成像を見事に分析してみせていますが、25年前の僕にはまだ全部を理解するには至っていなかった。僕も60歳を過ぎ、自分の中にも三成がいることを感じられるようになってきたんです。理にかなうか、かなわないかで行動を決める。そして三成が旗印としていた「大一大万大吉」は「One for all, All for one」という意味だと気づいたときは感動しました。三成は戦国時代にそんなことを考えていたのかと。

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