Aug 31, 2017 interview

黒沢清監督の集大成&新境地『散歩する侵略者』で描かれる“夫婦”という名の愛すべき日常

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黒沢作品が自己模倣化しない秘密

 

──自分が暮らしている社会の土台である常識が覆されてしまう恐怖ですね。『散歩する侵略者』は黒沢作品の集大成的であり、また新鮮さも感じさせます。長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己ら人気&実力派に加え、若手の高杉真宙と恒松祐里……と黒沢作品初出演のキャストたちのアンサンブルが面白い。

最初から今回は初めての人たちをキャスティングしようと考えていたわけではなかったんですが、縁あってといいますか偶々みなさん僕の作品は初めてという方たちばかりになったんです。それもあって、僕もすごく新鮮な気持ちで現場を過ごすことができました。

──メインキャスト5人は黒沢作品は初めてだったわけですが、台本読みやクランクイン前にリハーサル期間を設けたりしたんでしょうか?

いえ、僕は事前にキャストを集めての台本読みやリハーサルといったことは、全然やらないんです。なぜかというと、事前にきっちりやってしまうと演じるほうも僕も新鮮さが失われてしまうような気がするからなんです。初めてカメラの前で芝居をやってもらえば、そこで「あっ、こういうことなんだ」と思えて、その瞬間に「すぐ撮りたい」と思うんです。事前に決めてしまうと、予定どおりに撮ってしまうんじゃないかと、そのことを僕がつまらなく感じてしまうと、役者のみなさんも不安になると思うんです。それでなるべく撮影当日に台詞を口にしてもらい、相手の役者に反応してもらうことにしているんです。

──鳴海(長澤まさみ)と侵略者に乗っ取られた夫・真治(松田龍平)とのやりとりも現場に入ってすぐの芝居?

もちろん、そうです。長澤さん、松田さんにも新鮮な気持ちで演じてほしかったんです。松田さんが出逢った人たちから概念を奪うシーンは何回かあるんですが、スケジュール的な都合もあって、前田敦子さんから「家族」という概念を奪うシーンがいちばん最初になりました。どんなシーンになるのか恐る恐る撮ったんです。松田さん、前田さんと「こんな感じですかね」とか言いながらやってもらったんです。何となくやってもらったところ、「あっ、多分それですね」とそれで決まったシーンでした。松田さんと前田さんのやりとりを見て、「後のシーンもこんな感じでやればいいな」と思えたんです。2人のやりとりを見るまでは、ちょっと想像できないシーンでしたね。

 

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──「家族」という概念を奪われた瞬間、明日美(前田敦子)が涙をひと筋流すのがとても印象的です。

そうですね。原作からあるアイデアで、前田さんはそう深く考えて演じたわけではないと思うんですが、「こんな感じですか」とうまくポロポロッと涙を流してくれましたね。「あっ、そんな感じです」と。僕からアドバイスはできません。概念を奪われたことがありませんから(笑)。人間が概念を失ったらどんな状態になるのかは、俳優の力を借りて何とか乗り切った感じです。

──侵略者を演じた若手俳優2人(高杉真宙、恒松祐里)も作品に躍動感を与えています。

あの2人はどんな芝居をするのか僕はあまり知らず、「子役に近いのかな」くらいの認識だったんですが、現場で自分たちは何をするべきかきちんと分かっていて、長谷川さん、松田さん、長澤さんと何ら変わることなくやってくれました。恒松さんはかなり難易度の高いアクションも次々とやってみせてくれた。アクションを前提にして選んだわけではなかったんですが、彼女はバレエをやっていたそうで、体をすごく機敏に動かすことができた。高杉くんも、長谷川博己さんを常に翻弄し続ける役で、相当プレッシャーだったと思うのですが、素晴らしい演技を見せてくれました。

 

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夫婦関係が繰り返し描かれる理由

 

──一度は壊れた夫婦が様々なトラブルに遭遇しながら、以前よりも深い関係になっていく。黒沢作品では度々描かれるテーマではないでしょうか。

これが僕の描きたいドラマなんだという意識はないんですが、なぜかそういうドラマになってしまいますね。初めて出逢った男女が恋に墜ちていく―というのは僕にはどうも撮れないようです(苦笑)。それよりかは、安定した関係にあった男女がふとしたきっかけで疑心暗鬼に陥ってしまう。でも、最後には何とか関係を修復する、というほうが僕には合っているようです。

──黒沢作品で描かれる夫婦は、いちばん身近なパートナーであり、いちばん小さな社会でもあり、よく知っている赤の他人でもある。

そうかもしれません。僕が撮る作品は、だいたい外で事件が起きるんですが、自宅に帰れば日常生活が待っていて、そこで描かれる典型的な人間関係が夫婦であることが多いようです。外で起きている事件とは対照的なドラマが家庭内で進むこともあれば、外で起きた事件と絡んでいくこともある。僕にはこの形がとても描きやすいようです。よく刑事もので事件を追っている刑事たちが飲み屋で雑談する場面がありますが、僕は飲み屋で酒を飲むよりも、自宅に帰ってくるほうが、どうもしっくりくるんです。それで夫婦を描くことが多いのかもしれません。

 

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──黒沢監督自身のご家庭を反映している面もあるんでしょうか?

いやいや、うちは至ってふつうの夫婦です。全うな夫婦生活を送っているつもりです(笑)。自分の生活を作品に反映させようなんてことを考えたことはありませんが、ただ夫婦関係に限らず、僕自身の好みだったり、今まで生きてきた経験みたいなものが、ひょいと作品に反映されてしまうことがあるのも事実です。なので、たまに取材などでそういうことを指摘されると「ドキッ」としてしまう。「えっ、何でそんなことが分かるんですか?」「いや、見れば分かりますよ」なんてことがあるので、怖いですね(笑)。

──自宅に戻って奥さまと映画の話をされたりするんでしょうか。

ふつうに話しますよ。彼女も映画好きですし、僕が脚本を書いているときなんかはアイデアをもらったりもします。でも、それはそれ。作品の中で描いている夫婦は架空のものですよ(笑)。