Aug 31, 2017

インタビュー

黒沢清監督の集大成&新境地『散歩する侵略者』で描かれる“夫婦”という名の愛すべき日常

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黒沢清監督といえば、『CURE』(97年)や『回路』(00年)といったサイコスリラーやホラー映画で海外でも人気の高い国際派監督だが、近年は『トウキョウソナタ』(08年)、『岸辺の旅』(15年)など家族や夫婦といった身近な関係をサスペンスタッチで描いた作品が高く評価されている。円熟期を迎えたといっていい黒沢監督の新作『散歩する侵略者』は、人類が滅亡へと向かうスリルと一度壊れてしまった夫婦関係が再生していく感動とが絶妙なバランスで配合された作品となっている。世界の映画ファンがリスペクトする巨匠監督の素顔に迫った。

 

──世界が滅亡へと向かう恐怖感は『回路』、容赦ないバイオレンス描写は『CURE』や『クリーピー 偽りの隣人』(16年)、一度壊れた夫婦が旅をしながら愛情を確かめ合う姿は『岸辺の旅』などを連想させます。これまでの黒沢作品の集大成のような新作ですね。

そういっていただけると、うれしいですね(笑)。もちろん、原作あっての映画です。前川知大さんの原作を元にしていますが、原作が盛りだくさんの内容でいろんな要素が詰まっているんです。集大成っぽく感じられたとのことですが、実は僕がこういったジャンル、侵略SFというのを描くのはまったくの初めてなので、僕にとってはとても新鮮な体験でした。もともと前川さんが主宰している劇団の舞台で上演された作品であり、舞台だから成立した世界が果たして日本映画として成立するのだろうかと、僕自身がすごくハラハラしながら撮った作品でもあるんです。侵略SFを描くといっても、ハリウッドほどの潤沢な予算はありませんしね。

 

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──外見は人間の姿をした侵略者たちが、人間から概念を抜き取るという発想がユニークです。

そうですね、前川さんの素晴しいアイデアです。松田龍平さんが「その概念、もらった」と相手から概念を抜き取ってしまう。このシーンの撮影は、映画として本当に成立するのかどうか、ぎりぎりのところを狙っていてスリリングでした。だいたい、宇宙人という言葉は知っていても、「僕は宇宙人なんだ」なんて台詞は日常生活では使いませんし、言われたほうはどう反応するものなのか。最初は冗談のように聞いていたことが、でも次第に現実味を帯びてくることになる。なかなか普段は味わえないことを、撮影を通して体験できた楽しい現場でした。

 

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──様々な概念を抜き取られて廃人化してしまう大人もいれば、「所有」という概念を失ったことで引きこもりの若者(満島真之介)はポジティブな性格に生まれ変わる。コミカルなシーンですが、人間は概念によって社会生活を営むことができているけれど、逆に縛られていることにも気づかされます。

確かに人間はいろんな概念に縛られながら生きていますが、そのお陰でみんな何とか暮らしていけるわけでもあります。概念を奪われたという人にこれまで逢ったことがないので、どう表現しようかとずいぶん悩みました。「概念を奪われたら、どんな気分ですか?」と尋ねられても僕にも答えようがない(苦笑)。概念を奪われたら、すっきりした気分になれるかもしれませんが、映画をつくろうなんて気も失うかもしれませんね。なんで、こんな面倒なことをやらなくちゃいけないんだろうと(笑)。まぁ、人それぞれだとは思いますが、概念を奪われる展開は描きようによってはホラーっぽくなるんですが、この作品では、「家族」や「仕事」といった概念を抜き取った後に、最後の最後は愛をめぐるやりとりが待っています。それもあって、中盤まではあまり怖い展開にはせず、なるべく軽めの描写にしています。

──教会の若い牧師(東出昌大)が一生懸命に愛という概念を真治(松田龍平)に教えようとしても、真治はちっとも奪えないというやりとりには笑ってしまいました。

あのシーンは東出さんが神妙に演じてみせ、また松田さんの反応も絶妙でした。撮影現場でもあの2人のやりとりに、みんな爆笑してしまったんです(笑)。

 

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──『散歩する侵略者』を見ていて、これまでの黒沢作品のことが色々と思い出されました。例えば『クリーピー 偽りの隣人』に登場したサイコパスは、一般人の持っている概念や常識を悪用して犯罪を重ねていましたね。

あぁ、確かにそうですね。概念という言葉が当てはまるかどうかは別にして、『CURE』という映画では、萩原聖人さんは一般人の持っている日常生活を送る機能を歪めてしまうという役どころでした。どうも僕は、日常を機能させるためのシステムを壊してしまうキャラクターが好きなようですね(笑)。たった一人、そういう存在が現われただけで、それまで信じていた世界ががらりと変わってしまう。大袈裟にいうと、幽霊もそのひとつかもしれません。人間は一度死んだら終わり、死んだ人間とはコンタクトを取れないという死に対する概念を、幽霊は覆してしまう存在だといえるかもしれません。