- 平野:
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『銀河鉄道999』は、作品そのものの素晴らしさに加え、ファン向けのイベントを行なったり、劇場版のテーマ曲を当時絶大な人気を誇ったゴダイゴが歌ったり、現在のアニメにつながるような取り組みを多数行なっていました。続いては、そういったアニメ外でのファンとの関わりについて教えていただけますか?
- 野沢:
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アニメイベントがブームになったのは確かに『銀河鉄道999』がきっかけでしたね。でもね、一番最初にファン向けのイベントを行なったのは『ゲゲゲの鬼太郎』なんですよ。
- 平野:
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えっ、そうなんですか?
- 野沢:
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雑誌からインタビューの依頼が来たのも『ゲゲゲの鬼太郎』が初めてですね。まずはそこから始まって、それを何回か繰り返していたら、次はイベントをやりましょうってことになったんです。 でも、その当日のことはいまでも忘れられません。デパートの屋上が会場だったんですが、大きな鬼太郎のかぶり物が用意されていて、「じゃあ、これ被ってステージに立ってください」とか言われて(笑)。
- 平野:
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えええええ?
- 野沢:
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仕事だから仕方ないって被ろうとしたんですけど、今と違って、かぶり物がすっごく重いんですよ。被るどころか動かすことすらできない。聞けば、スタッフの人も1人では動かせないとか言っていて……そんなものを私が動かせるわけがないじゃないですか!(笑)。 結局、アルバイトの男の子がそれを被ってステージに立つことになったんですが、重いし、目の前が見えないしで、フラフラと危なっかしいんですね。仕方ないので、マイクで「僕、落ちちゃうからバックしよ~」なんてコントロールしながらやっていったのを覚えています。
- 平野:
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文字通り手探りだったんですね。それが『銀河鉄道999』の頃にはどういうふうに変わっていきましたか?
- 野沢:
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まず大きく変わったのは、私たちがステージに立たなくなったこと。鬼太郎の時は着ぐるみの隣に立って演技していたんですが、『銀河鉄道999』の頃には、声優は舞台のソデから声だけで出演するという形になっていきました。
- 平野:
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まだ、現在のように声優が声優として舞台に立つということではなく、あくまで主役はキャラクター(着ぐるみ)だったんですね。
- 野沢:
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当時は役者の側も自分たちは表に出てはいけないという意識が強かったですね。子供のキャラクターを演じているのに、実際は大人ですとか興ざめでしょう? 子供のイメージを壊しちゃいけないって考えていました。
- 平野:
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当時の、そういう形式ならではのご苦労を聞かせていただけますか?
- 野沢:
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着ぐるみに入っている役者さんと息を合わせて演技をするのが大変でした。台本も大枠は決まっていましたけど、会場の雰囲気に合わせたアドリブも必要でしたからね。ボーッと立ち止まってしまっていたら「よーし、ちょっと動こうかな~」って喋って動きを促したり、転んでしまったら「痛ッ!」って叫んだり、いろいろ工夫しました(笑)。
- 平野:
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『うる星やつら』の頃にはもう、声優がステージに立つようになっていたので、それはすごく新鮮ですね。 ……そうそう、アニメイベントと言えば、ぜひマコさんにお伺いしたかったのが、昨年行なわれた『ドラゴンボール』の海外イベントについて(編集部注:映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』ロサンゼルスプレミアムイベント)。やっぱり日本のイベントとは違いましたか?
- 野沢:
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もうね、本当にすごかったですよ!! 現地のスタッフさんが言うには、「今、海外で活躍している日本人スターが登壇するイベントでもこんなに人が集まらないですよ」と言われるくらいたくさんのファンの方が集まってくださって……。 ロスでやっているのに、フランスとかインドとか、地球の反対側から来るような人までいてね。『ドラゴンボール』はやっぱり別格なのだそうです。 会場入りもリムジンですし、レッドカーペットを歩くときは周りにガードマンまで付きましたからね。人垣をかき分けてステージに上るとか、まるで大スターになった気分でした。
- 平野:
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イベントでは、アメリカやフランスで悟空役を演じている声優さんともお会いになったそうですね。
- 野沢:
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向こうでは成人後の悟空の声を男性がやっているんですよ。だから皆さん、私が女性でビックリしたかも知れないわね(笑)。