Nov 14, 2019 interview

『影踏み』で再タッグ!篠原哲雄×山崎まさよしが語る“俳優論”、影響を受けた映画と音楽

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再タッグ実現の裏側

――山崎さんが演じた修一は“官”と“民”なら“民”の立場で、かつアウトローですよね。ご自身と重ね合わせて演じられるんじゃないかって思われたそうですが、具体的に言うとどんな点でそう思われたのでしょうか?

山崎 僕も税金を払ってますから、官の人には「俺らの税金を使って…」みたいなことを思ったりもします(笑)。やっぱり民の人はそういう恨み節がどこか根底にはあると思うんですよね。僕もソロアーティストなので、アウトロー的な解釈ではないんですけど、修一も一人で活動しているわけだから、“個”という意味で共通項があるのではないかと思ったんです。

――個として活動していくうえで思うことはありますか?

山崎 これが正しいことなのか、道を踏み外しているのか、ただ自分の欲望のままにやっていることなのかっていう判断が、一人で活動しているとなかなか気づきにくいんですよね。個として生きているということはそういう危うさをずっと持ちながら、それでも周囲や社会との折り合いやバランスを見ながら、ちゃんと自分で進んでいくっていうことなんだろうと思います。

――映像ならではの表現がありつつ、原作の世界観が活きていると感じました。映像化する際に難しかった点や意識した点は?

篠原 原作の根底にあることを描くために、どうしても省かざるをえない箇所や、サスペンスとしてのある描写や証拠のことなど、小説では書かれていることが映画では赤裸々には描けないことがあったという点では苦労したと思います。ただ、主人公の抱えているものをきちんと形にしていくことはできているんじゃないかと思います。

――篠原監督が描く映像の魅力はどこにあると思いますか?

山崎 いわゆる心象風景みたいなものを語らずしても――要するにセリフを介さなくても、そういうことだろうということを観客に思わせる表現ができていることですかね。小説ではセリフとシチュエーションを文章で説明しないといけないけど、小説より語らずに、映像作品として表現するっていうのはけっこう難しいことだと思うんです。とくに修一はあんまりしゃべりませんしね(笑)。そういう難しさは絶対あったと思います。

――山崎さんにとって14年ぶりの主演作ですけど、篠原監督の作品だから受けたということもあるんでしょうか?

山崎 『月とキャベツ』の撮影部も録音部もプロデューサーも再集結して、さらに篠さんが監督で。「みんな集まるけど、お前どうすんねん」って言われて、やっぱり断る理由がちょっとないんですよね(笑)。

篠原 あはは(笑)。

山崎 ノーとは言えないし言いたくないし、「山ちゃんも来いよ」って言われるし、俺もそれは「誰でやるんですか!?」ってなる。俺じゃなかったら、「俺、呼んでくれへんのや」みたいな(笑)。そこは避けたかったですよね、やっぱり。って、何言ってるかわからんけど(笑)。

篠原 じゃあ、今後もひとつお願いします(笑)。

山崎 あははははは(笑)。

篠原 今回の場合は『月キャベ』20周年の機会に再び何か組めればいいねという、暗黙の流れみたいなものがあって。何をするかということが重要だったんですけど、山ちゃんだってこれはできるとかこれはできないとかあるだろうから、『影踏み』はとてもうまい感じに至ったと思います。

――山崎さんをはじめ竹原ピストルさんも出演されていて、北村匠海さんも音楽活動をされています。篠原監督の中で、ミュージシャンをキャスティングするのはどんな意味がありますか?

篠原 もちろん生粋の俳優さんも好きです。でも役者とはまた違う作業をするミュージシャンの方は、役や作品へのアプローチの仕方が違うと思うので、その人の持っているものがちゃんと芝居の中に存在として投影されやすいんですよね。芝居のうまさということとは別で、ミュージシャンのほうがその人の存在が出やすいというか。今回、山崎まさよしがそこに修一として“いる”と思うし、ピストルさんにしてもコワモテの刑事という何かを感じさせてくれるんですね。