Apr 22, 2023 interview

藤井道人監督が語る 河村光庸プロデューサーの遺志を継ぐものとして挑んだ『ヴィレッジ』

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同一化、事なかれ主義、村社会、そしてエンタテインメント

池ノ辺 そこから一緒にいろんな作品を作ってこられて、今回の『ヴィレッジ』になるわけですが、河村さんは制作の途中でお亡くなりになったのですか。

藤井 クランクアップは見届けて、僕が短くつないだラッシュ映像までは観られました。河村さんと ( 横浜 ) 流星とプロデューサーと僕の4人で打ち上げをしたのが6月の3日か4日、その1週間後でした。

池ノ辺 今回の作品はオリジナルの脚本で、“能”と“ごみ処理施設”と“村”、相反するようなものが絡み合って、話にどんどん引き込まれていきました。このアイデアも河村さんと一緒に作り上げたんですか。

藤井 実は今回も、『新聞記者』と同じような経緯でした。僕は河村さんと別の企画をやっていて、クランクインの準備をしていました。ただ、河村さんから次の『ヴィレッジ』では流星を主演にしたいというので、会食の席を設けたりして、そういうつなぎはやっていました。それで主演が決まって「頑張ってくださいね〜」と言っていたら監督が降板したというんです。

嫌な予感がするなと思っていたら案の定、「藤井君、頼むよ、俺もう死ぬんだよ」と言ってきたんです。今思えば、本当に亡くなっちゃったわけですから、「そんな縁起でもないギャグやめろよ」というところですが、あのときはそんなこと思いもしなかったですから、「まあでも、最後まで付き合うって決めたしな」という思いでスケジュールを無理に開けて挑戦することになったんです。

池ノ辺 そうだったんですね。

藤井 河村さんが描きたかったことはいくつかありましたが、ひとつは「村人全員が能面をかぶって歩いている」というシーン。これは同調圧力とか事なかれ主義、同一化を表していて、このコロナ禍で誰も自分の意見を持っていない、そういうことへの河村さんの怒りがありました。そしてこれは“村社会”の映画でもあります。日本の縮図といっても“村社会”で右往左往している老人たちを描いても意味がない。これは若い人たちをたくさん出して若い人たちにたくさん観てほしいんだと言われました。

もう一つは“能”です。コロナ禍でエンタテインメントは必要なのか、そうした疑問への答え、「必要である。芸能、エンタテインメントは死なない」という答えを表現したい、だから日本最古の芸能である“能”を使いたいんだと言うんです。僕は“能”のことなど何も知らなかったし興味もなかったんですが、「かっこいい」とどんどん引き込まれていって、結果、河村さんの思いにまんまと付き合わされてしまいました。

池ノ辺 それで監督と脚本をやることになったと(笑)。

藤井 脚本も、全部書き直しになって、もうゼロからでしたね。だいぶ迷走してようやく完成したというところです。

池ノ辺 でもそれだけ、最後に賭けようと思ったんでしょうね。

藤井 結果的に最後になりました。でも河村さん自身は自分が死ぬとは思っていなかったと思うんです。彼の企画は山のように残っていて。ですからこれが遺作のひとつだという感じはあまりしないですね。河村さんの遺志を継ぐ者としては、まだまだ宿題がたくさん残っているという感じです。