Jun 22, 2022 interview

早川千絵監督が語る『PLAN 75』 理不尽さに対する若い人たちの気づきこそ希望と感動につながる

A A
SHARE

やりたいことがあれば、道は自ずと見えてくる

池ノ辺 監督はもともと映画監督になりたかったんですか?

早川 なりたかったんです。子供の頃から。

池ノ辺 何か影響された作品があったんでしょうか。

早川 最初に映画に心を奪われた体験として覚えているのが、小学生の頃に観た『泥の河』(1981年)という映画で、子ども会の上映会か何かで観たんです。白黒映画で、なんでこんな昔の映画を子どもに観せるんだと怒りながら観はじめたんですが、これがとても面白くて。

子どもが主人公なのですが、自分の中で感じてはいたけれどこれまで言葉にならなかった感情や感覚がその映画では描かれていて、ああ、この気持ちすごくわかる、この映画を作った人は私の気持ちをわかってくれているんだと感動するという体験を初めてした映画だったんです。それが初めて映画を作る人のことを意識した映画でした。その体験がとても強烈で、またそういう映画に出会いたいと思って、そこからどんどん映画を観るようになったんです。

池ノ辺 大学は、映画学科に入られたんですか?

早川 実はNYの美術大学の映画学科に入ったんです。でも当時はまだ英語に自信がなくて、映画は皆で作るものだからこれでは無理だと思って、1週間で写真学科に専攻を変えちゃったんです。写真にも興味はありましたし写真なら1人でできるだろうということで、のめり込んで学んだのですが、一方で映画を作りたいという気持ちは変わらずにありました。それで自分でビデオを買って独学で撮り始めたんです。ただ、当時は一緒に作る仲間がいなかったので、ビデオアートというかコンセプチュアルアートみたいな形のものばかり作っていたんですけど。

池ノ辺 NYの美術大学なら映像の勉強をしているような友人もまわりに多かったんじゃないですか。

早川 映画学科の人達とはそんなに交流もなく、結局NYにいるときには映像の勉強はほとんどできなかったんです。そうこうしているうちに4年間の大学生活が終わって、日本に帰ってから日本で映画を作りたいと思ったので、日本の映画学校に入るか助監督などで現場に入ろうか、と思っていた矢先に子どもを授かりまして。それから人生の方向を大きく変えざるを得なくなったんです。

池ノ辺 じゃあ日本に戻って出産・育児に専念する生活に?

早川 アメリカで結婚・出産をして、子どもが少し大きくなってから、日本にみんなで帰ってきたという感じです。

池ノ辺 そこから映画学校に入られたんですか?

早川 日本に帰ってからの数年は、悶々と映画が作りたいと思いながらも、なかなかその一歩が踏み出せず、フルタイムの仕事をして子どもを育ててということをやっていました。

池ノ辺 やっぱり映画監督になろうとなったのはなぜ?

早川 30代半ばになった時に、こんなに昔から映画を撮りたいって思っていて、それでアメリカにも行った。なのに今は何もできていない。このままでいたら、何もやらずに死ぬときになって私は結局映画を撮れなかったんだと思いながら死んでいく。そんな自分の姿が想像できてしまって恐ろしくなったんです。

若い頃は、いつかなりたい、いつかやりたい、と思っていれば、なんとなくいつかは叶うような気がしていたんですが、何もしなければ何にもなれないんだということがものすごく実感として迫ってきたんですね。その一歩を踏み出すために、とにかく映画学校に行こうと思って、ENBUゼミナールに1年間の夜間コースがあったので行き始めて、ベーシックなところを初めてそこで一から教えてもらいました。

池ノ辺 いろいろ回り道があって、それでも映画監督になりたいと映画学校に行くことから始められたわけですが、具体的なきっかけが何かあったんですか?

早川 というより、悶々と暮らすのが辛くなってきたということでしょうか。やれない、できない、の言い訳ばかりを自分の中でずっと続けていることにうんざりしてたんです。だったらもうやるしかないと。

池ノ辺 そうはいってもなかなかできることではないでしょ。日々の生活に追われて流されて実現できないことの方が多いと思いますよ。お子さんもご主人も応援してくれたんですね。そこを卒業した後は?

早川 1年間そこで学んで卒業制作として短編を撮りました。その作品をとにかく世界中の映画祭などのコンペティションに片っ端から送っていったんです。その時に初めてカンヌ映画祭にシネフォンダシオンという学生対象部門の公募があることを知って、自分にも資格があるじゃないかとエントリーしたんです。結果的にその短編『ナイアガラ』が入選して映画祭に呼んでいただきました。そこからだんだん道が開けてきたという感じです。

池ノ辺 なるほど。ということは監督になりたいという若い人が途中で挫折したとしたら、それはまだできることをやり尽くしていないということかな。

早川 だと思います(笑)。やりたいことがない、何をやりたいのかわからないという悩みはたいへんきついと思いますが、やりたいことがあるなら、やるべきことは自ずと見えてくると思いますね。