Mar 30, 2022 interview

信友直子監督が語る 家族ならではの至近距離で両親を見つめたドキュメンタリー『ぼけますから、よろしくお願いします。』

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「グリコ・森永事件」とマスコミへの恐怖

池ノ辺 監督は東京に出てくる前は、この映画の舞台となる呉で育ったわけですね。それで東大に進学された。

信友 父が国立大学、いわゆる帝大に行きたいっていう夢をずっと持っていたのですが、戦争で行けなかったんです。それがすごく無念だっていう風に昔から言っていて。私に勉強しろって言ったわけではないんですけども、旧帝大の寮歌みたいなレコードをしょっちゅうかけて歌ったりしているから、「私が代わりに行ってあげるよ」みたいなことを、小っちゃい頃から言ってたんです。

池ノ辺 小っちゃいころから! じゃあ、自然な形で勉強が好きになったんじゃないですか。

信友 そうですね。褒められたりすると、やっぱり楽しくなって良い方に転がっていったような気がします。

池ノ辺 じゃあ合格した時は、喜ばれたでしょうね。

信友 いまだに、「わしが一番嬉しかった日は、直子が東大に受かった日じゃ」って言ってます。

池ノ辺 その後、森永製菓さんに入ったんですよね?

信友 森永製菓の広告部に入ってコピーライターになりました。

池ノ辺 でも、そこからドキュメンタリーを作るようになるまでに何があったんですか?

信友 私が森永製菓に入った年に、「グリコ・森永事件」があったんです。コピーライターになるのは夢だったので、もう先々明るいことばっかりだと思っていたのに、会社がもしかしたら潰れるかもしれないぐらいの事件になりました。

池ノ辺 スーパーやコンビニの棚のお菓子に毒を入れると脅されたわけですから、メーカーさんは大変ですよね。商品は撤去されるし、本当に起業の存亡にかかわる大事件でしたね。

信友 もう奈落の底に突き落とされたんですよ。これは就職に失敗したかもしれないとか、親に心配をかけてると思うと、すごくショックで。

池ノ辺 コピーライターの仕事もなくなったわけですか?

信友 広告なんて全然出せなくなりました。この時、マスコミがどっと押し寄せたんですね。私たちは被害者なのに、会社が終わって入口から出て行くと、犯人声明についてどう思うか聞いてきたりとか。

池ノ辺 あの頃はそうでしたね。内田裕也さんがレポーター役の『コミック雑誌なんかいらない!』の世界そのままでしたよね。

信友 マスコミの人って、おじさんばっかりなんですよね。それがすごく怖くて。事件でショックを受けてるのに、マスコミ恐怖症にもなって。でもその時に、ある新聞記者のお姉さんが来られて、一人の女性として寄り添って話を聞いてくださったんですね。それまで私は心の中はボロボロだったんですけど、強がって絶対に泣かなかったんですよ。友達の前でも、私だけ就職を失敗したように思われるのが嫌で。親の前でも心配かけたくないから、「私は大丈夫」って強がってたんですけど、そのお姉さんに、「大変ですね‥‥」って言われたら、そうなんですって言いながら、すごい泣いちゃったんですよ。

池ノ辺 その女性記者の前で、初めて心を許せたんでしょうね。

信友 親に4年間仕送りしてもらって大学まで行かせてもらったのに、こんなことになって‥‥。本当に親不孝だと思っているんですみたいなことを言って泣いて。でも、そうしたら、事件が解決したわけでもないのに、すごくスッキリして、救われた気持ちになったんですね。それで、こういうお姉さんみたいな仕事がしたいって思ったんです。

池ノ辺 それでマスコミの仕事に興味を持ったんですね。新たな仕事を始めるにあたって、新聞記者じゃなくて映像の世界に入ったのはどうしてですか?

信友 森永製菓では、私が入社して1年後の春には、広告をまた出せるようになったんですね。かい人21面相から、「森永ゆるしたる」っていう、私には絶対書けないような名コピーが送られてきて(笑)。どうやら許されたみたいで、また森永製品が売れるようになったんです。そこからは私もコピーを書いたり、コマーシャルの撮影現場に行ったりしたんですけど、そうしたら作ってる人の方が楽しそうだなって思ったんですよ。ものすごくボロボロの格好で雪を降らしたりしているんだけど、それがすごく楽しそうで。でもスポンサーだと、それをただ座って見ているしかないじゃないですか。私はあっち側に行きたいと思ったんです。