映画監督になることはゴールではない
池ノ辺 映画監督になろうと思ったきっかけはなんですか?
上田 中学の頃からハンディカムのビデオカメラで自主映画もどきのようなものを撮り始めていたんです。
池ノ辺 それは将来、映画監督になろうとして?
上田 映画監督になりたいから撮っていたわけじゃなくて、もう映画が好きで、好きだから撮っていたんですね。それで高校を卒業する前に、進路をどうする?ってなった時に、初めて職業として「映画監督」を意識しましたね。映画を作って、それで生活していけるなら、それが一番いいなと思って。
池ノ辺 高校卒業後、すぐに東京へ出てきたんですか?
上田 紆余曲折あって大阪に一時住んでいて、その後にヒッチハイクで上京しましたね。ただ、20歳から25歳までは、映画は一切作ってなくて。
池ノ辺 その頃は何をやってたんですか?
上田 すごくざっくり言うと、いろんな失敗をしていたんですよ。例えばカフェバーを出店しようとして借金を背負ったりとか。あとちょっと怪しいマルチ商法みたいなのに足を突っ込んでしまって借金したりとか。SF小説を出版して借金をしたりとか。
池ノ辺 借金ばっかりしてると、生活が大変になっていくんじゃないですか?
上田 それでお金も家も友達も失って、一時期は代々木公園でホームレスをしていたりとか。
池ノ辺 ええっ!ホントですか?そういう経験が、監督の作品にみなぎるエネルギーになっていったんですかね?
上田 まあ、そこでいろんな失敗をしたからこそ、今があるとは思えますね。
池ノ辺 だけど、借金だらけになる人生を送って、どん底まで行った人が、『カメラを止めるな!』を大ヒットさせて、興行収入31億円の映画を作っちゃうんだから、そんなジェットコースターみたいな人生を送るってどんな気分なんですか?
上田 僕自身は、映画監督を志した頃から、映画監督になればゴールだと思っていたんですよ。
池ノ辺 当初の考えでは、上田監督はもうゴールしたことになるわけですね。
上田 映画監督としてご飯を食べていけるようになればゴールだって思っていたんですけど、全然ゴールじゃなかった。
池ノ辺 たどりついたら、まだ先がどんどんあったわけですね?
上田 ここにたどり着くと、次に目指さないといけないものも出てくるし、満たされていない部分もある。そういった部分も、『ポプラン』で描きたかったということでもあるんですけどね。
池ノ辺 そういう経験を経て『ポプラン』が撮られたと聞くと、この映画にいろんな人の人生が凝縮されていて、観ている私たちにもいろんな感情をもたせてくれる理由がわかった気がします。