Oct 07, 2021 interview

映画『ONODA 一万夜を越えて』 主演・津田寛治が守る、カメラの前で芝居をしてはいけないという教え

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戦争が終わって約30年が過ぎた1974年、高度経済成長で繁栄を遂げた日本に大きな衝撃を与えた元日本兵・小野田寛郎陸軍少尉の帰還。彼はフィリピン・ルバング島のジャングルで戦争が終わったことも知らず、戦い続けてきた最後の日本兵だった。日本では広く知られた小野田寛郎の物語を映画化したのはフランスの映画監督アルチュール・アラリ。そして小野田寛郎を演じるのは、『特捜9』(テレビ朝日)など、映画、テレビをはじめ幅広い活躍で知られる津田寛治。異色の組み合わせで作られた国際共同製作映画『ONODA 一万夜を越えて』は、従来の戦争映画とは異なる視点から、人間が戦争と自然を前にして何を見つめ、何を感じ、どう生きたかを描いた魂の人間ドラマ。

映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』の池ノ辺直子が津田寛治さんに、出演にいたるオーディション秘話、過酷なジャングルでの撮影、そして小野田さんをどう演じたのかをうかがいました。実は2人は、30年以上前からの仲。俳優デビュー前に録音スタジオの喫茶室でアルバイトをしていた津田さんと始終顔を合わせていた。久々に再会を果たした2人の話題は、『ONODA』から北野武監督に直談判した津田さんのデビュー秘話へ。

フランス人監督が新たな視点で描く未帰還日本兵への興味

池ノ辺 つい、昔の呼び方で寛ちゃんって呼んじゃうんだけど、実は津田寛治さんのことは、俳優として世に出る前から知っていたんです。アオイスタジオっていう録音スタジオの喫茶部で働いていたんですよね。あれは何年前?

津田 22、23歳ぐらいに働き始めたから、もう30年以上前ですかね。

池ノ辺 その頃のお話は後でするとして、『ONODA 一万夜を越えて』には、びっくりしました。もうね、森に立ってる寛ちゃんは、私が知ってるアオイスタジオで一生懸命コーヒーを運んでた寛ちゃんじゃなかった(笑)。昔、テレビで見た小野田寛郎さんがスクリーンにいるようだった。

津田 本当ですか? ありがとうございます。 僕も小野田さんがフラッシュを浴びながら会見していたのを覚えてますよ。日本で初号試写が終わったときに、小野田さんの遺族の方から「津田さん、小野田でした」って言っていただいて、すごく嬉しかったですね。

池ノ辺 今回、小野田さんの役はオーディションで決まったそうですね。監督はフランスのアルチュール・アラリさん。小野田さんをフランス映画として撮ることはどう思いました?

津田 僕はめちゃくちゃ面白いなと思ったんです。どうしてフランスの新進気鋭の監督が小野田さんを撮りたいって思ったんだろうと興味津々だったんですよ。アラリ監督は8年前に小野田さんの手記を読む機会があったらしいんです。それで、“何だ、この人は?”って思われたらしくて。

池ノ辺 アラリ監督って1981年生まれだから、30歳になるかならないかの頃に興味を持ったの?

津田 そうみたいです。それでこの人を映画にしたいと。もっと正確に言うと、この〈状況〉を映画にしたいと思ったそうなんですね。30年間ジャングルの中にいて、戦争が終わってないと思い込むってどういうことなんだ? っていうのが始まりだったらしいんですよ。