映画コメンテーターでおなじみの伊藤さとりさん。舞台挨拶、会見の司会をはじめ、テレビや雑誌でも邦画・洋画を問わず、映画の魅力を伝え続けて25年。映画が好きで、映画に関わる仕事につきたいと思ったものの、コネも実績もなかった伊藤さんが、どうやって仕事を見つけ、活躍するようになったのか? 映画業界の人たちと映画人生を語りあう 「映画は愛よ!」の池ノ辺直子が、〈舞台挨拶MC〉という、これまでに無かった仕事を作り上げたパイオニアに、「”伊藤さとり”が”伊藤さとり”になるまで」をうかがいました。そして、第92回アカデミー賞の直前予想も!
OLを辞めて気づいた本当にやりたかった仕事
――伊藤さんには、どうやって今のお仕事をされるようになったのか、前からすごくお話を聞きたいと思っていました。若い子に「どうやったら伊藤さんみたいになれますか?」って聞かれるでしょ?
手紙やメールで聞かれることはありますね。たぶん、普通に司会をやりたいんだったら、フリーアナウンサーの事務所に入るのがベストだと思うんです。映画を紹介したいとか、映画に絡んだ司会をしたいと思うんだったら、映画ライターとか書く方から入るのもアリだと思います。今だったらブログに書くとか、You Tubeで映画の紹介をするとか、そういうことをやっていたら誰かが見ていてくれるから。
――でも、伊藤さんはそういうものが無かったときから、やってきたわけでしょう。子どもの頃から映画が好きだったんですか?
私、東京の大田区出身なんです。大森の山王というところで……。
――神社(大森山王日枝神社)がありますよね?
よくご存知ですね! 大森は映画館があるし、京浜東北線でちょっと行けば日比谷なので、おかげさまで映画三昧の人生を送ってきました(笑)。
――映画のお仕事をされる前は、何をしていたんですか?
高校を出た後、OLを1年半ぐらいやって、二十歳で結婚する予定だったんです。それも同じ会社の人だから完全に寿退社。
――それができなくなっちゃった?
よくわかりましたね。簡単に言うとそうです(笑)。『ラナウェイ・ブライド』(『プリティ・ブライド』)のジュリア・ロバーツみたいな感じ。結婚ギリギリになったら、「やりたいことがある!」と思っちゃって、本当にお相手の方に申し訳無く、自分勝手過ぎる20歳でした。
―― それが映画の仕事だったわけね。
小学生のときに淀川長治さんとか小森のおばちゃまを見ていて、映画を紹介する仕事とかインタビューする仕事がしたいと思ったんです。それで映画の出版社に電話しまくって訊いたら、出版社って高卒だと入れないんですよ。私は家が貧しかったから、高校を出たら働かなきゃいけなかったんです。
――じゃあ、OLを辞めたあとにやったのは映画の仕事じゃないのね?
しゃべる仕事をやろうかなと思ってオーディションを受けてみたら、受かりまくったんですよ! 要はナレーターコンパニオンの仕事ですけど、私はコンパニオンには興味がないからMCをやりたいと思って、ダメ元で受けたら受かり始めて、人生が楽しくなってきたんです(笑)。
――どんなイベントのMCをやってたんですか?
モーターショーとかデータショーとかのMCです。それをやっているときに代理店さんが見にきてスカウトされたんです。たまたまある代理店さんが映画の試写会の枠を持っていたんですよ。それで「試写会で司会やらない?」って。
――当時は試写会のMCって誰がやっていたんですか?
そのころって、役者さんの舞台挨拶もないから何にもなかったらしいです。これからそういう試写会を立ち上げるからって。映画の仕事が出来るっていうから喜んで。だったら企画からやらせてほしいって言っちゃって。
―― その企画って一体何をするんですか?
要は映画会社と交渉して、試写会に映画をブッキングしたりするんです。そのとき映画会社の人に、私が一番やりたかったのは淀川長治さんみたいに映画を紹介する番組だったので、その話をしたら、「自分で番組持っていたら、いくらでも試写の案内送るし、視聴者用の試写プレゼントもあげるよ」と言われて、「そうなんだ!」と思って、いろんなテレビ局に売り込みに行ったんですよ。Wordで企画書を作って(笑)。
―― すごい行動力!