Feb 27, 2018 interview

作家・中村文則×監督・瀧本智行が明かす『去年の冬、きみと別れ』制作の舞台裏

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背筋がゾッとした作家のこだわり、小説『冬きみ』でのテーマ

 

中村 脚本段階では、いろんな人からのアイディアもあって、二転三転していきましたよね。基本、瀧本監督たちを信頼するというのが僕のベースにあったんですが、どうすればストーリー的に整合性がとれるかという点に関してなど、僕からもアイディアを提案させてもらいました。僕自身が映画ファンなので、映画界に何らかの形で貢献できるのは嬉しいし、今回の映画化は理想形の一つでした。瀧本監督たちを信頼して良かったと、完成した映画を観て実感したんです。

瀧本 中村さんからの提案は僕へ直接ではなく、プロデューサーを介してのものだったんですが、その中で「すごい」と思ったのは、原作でも映画でも取り上げている芥川龍之介の短編小説『地獄変』についての描写です。映画では、カメラマンの木原坂雄大(斎藤工)に『地獄変』がどんな内容かを語らせているわけですが、なるべく短い台詞で語らせたいというのがあって、『地獄変』を意訳した形で台詞にしていたんです。その部分に中村さんから「そうじゃなかったのでは?」と指摘があったので、「うわ、すごいな。さすがだな」と思いました(笑)。作家として、そこは譲れなかったんですよね?

中村 間違った形で芥川龍之介の小説を紹介されると、原作者である僕が芥川龍之介を知らないってことになってしまいますからね(笑)。でもその頃、僕はすごく忙しくて、正確に指摘することが出来ず、「ここ、合ってますよね?」というニュアンスで言ったつもりでした。

瀧本 それが、とても細かい指摘で、「芥川龍之介の短編小説のディテールをしっかり覚えているんだ」と驚いてしまったんです。こちらは「意味さえ合っていればいいだろう」くらいにしか思っていなかったんですが、「作家のこだわりってすごいな」と、ちょっと背筋がゾッとしましたね。

中村 芥川龍之介に関して、作家が間違えるわけにはいきませんから。映画監督が黒澤明監督の作品の描写が違っていたら我慢できないのと同じというか。まぁ、関係ない人たちからすれば、作家のこだわりも映画監督のこだわりも、おかしなものに感じるかもしれませんね(笑)。

 

 

──表現者の狂気を示したものとして芥川龍之介の『地獄変』が語られるわけですが、中村さんも『冬きみ』を1年がかりで書き下ろす作業は、狂気に迫るギリギリの行為だったのではないですか? どうすれば完全犯罪が成立するかを、一人でずっと考え続けたわけですよね。

中村 確かにそうですね。まぁ、僕も作家になって現在で15年で、この作品を書いた頃は10年目くらいだったのかな。それが僕の仕事ですから。

瀧本 中村さんにお訊きしたかったんですが、あれだけ緻密な小説を書き上げるのには最初にプロット(あらすじ)を用意するんですか?

中村 いえ、実は書きながら考えているんです。最初に構成表みたいなものを準備して書き始めると、こういう小説は書けないですね。書きながら、ここはこうだ、じゃあ、あそこは一度戻って書き直そう。そして、また書き進めていく。どうすれば面白いものになるのか、自分の中でストーリーを二転三転させながら書いているんです。しかも、この作品は「なるべく短いものにしよう」と考えながら書き進めました。短いページ数の小説でありながら、テクニカルなものにしたかったんです。作品テーマの一つは、人間の抱く欲望とは、本当にその人の中から浮かんできたものなのか、それとも他の誰かが「良い」と言っていたものを好きになってしまったのではないかというものでした。人間の感じる欲望って、実は当てにならないものなんです。あと一つ言うと、人が一線を越える瞬間を描きたかった。僕のこれまでの小説は一線を越える直前で引き返すものが多かったんですが、その一線を越えたらどうなるのかを。