現場では常にフラットな関係でありたい
――洋画ではミュージカル映画『グレイテスト・ショーマン』(17年)や『ラ・ラ・ランド』(16年)が大ヒットしましたが、日本ではなかなか作られませんね。
ハリウッドなど海外ではミュージカル映画の歴史があって、ノウハウの蓄積があるんです。日本には蓄積がない。それが大きな理由でしょうね。もう1つには、言葉や文化が違う外国のキャストが演じる洋画だと、日本の観客は最初から虚構の世界だと認識しているので、ミュージカル映画でも受け入れやすいんだと思うんです。それが日本の風景の中で日本人が日本語で歌って踊ると、観客との間に壁が生じてしまう。そこをクリアするために今回は催眠術という設定を利用することにしたんです。
――ノウハウの蓄積がない中でのミュージカル映画の制作は大変?
いつも以上に大変でした。日本にミュージカル映画の歴史がないということは、ミュージカル映画のオーソリティーもいないということで、「この曲は大丈夫でしょうか」「振付はどうしましょうか」「ダンスシーンはもっとカメラのカットを割ったほうがいいでしょうか」などの相談ができる人もいなかったんです。
――矢口監督は、いつも主人公たちが無理難題に挑戦して悪戦苦闘する様子をカメラの横で楽しんで見ているというイメージがあったのですが…。
いやいや、毎回のように僕もキャストたちと一緒に悩んで、苦しんでいますよ(笑)。でも、今回はいつも以上でした。僕自身がミュージカル映画は初挑戦だったので、振付の方にうまく言葉で説明することができなかった部分もありました。リハーサル期間中でしたが、振付のイメージを伝えるのに、「もっととっぽい感じで」「ニューヨークの風のような」とか、よく分からない表現を口にするようになり、あまりのプレッシャーから記憶が飛んでしまったこともあります。電車に乗って打ち合わせ場所に来たのに、「あれ、何のために来たんだっけ?」と、記憶が消えてしまったんです。その日だけで大事には至りませんでしたが、想像以上にミュージカル映画は大変でした(苦笑)。
――そんな矢口監督の期待に応えて、見事なミュージカルシーンを披露したのがオーディションで選ばれた三吉彩花さんですね。
そうです。オーディションには500人ほど集まってもらったんですが、舞台用の派手なメイクや衣装で歌って踊ると映えるミュージカル舞台系の方はいても、自然な姿でドラマを演じられる人は少ないんです。そこが三吉さんはよかった。オーディション当日の三吉さんは、なぜか仏頂面で遠くのほうを見ていたんです。でも歌って踊ると、とたんに華やかな雰囲気に切り替わる。そのギャップが主人公の静香役にぴったりでした。3か月間のリハーサル期間も含めて、三吉さん、やしろ優さんをはじめ、みんな本当にがんばってくれました。
――三吉さんは「撮影現場では、監督がいつもニコニコしているのが印象的だった」と語っています。どんなに大変な現場でも、監督がイライラした姿を見せてはおもしろい映画は撮れないわけですね。
監督だけではなく、それはスタッフやキャスト全員にも言えることだと思うんです。みんなが常にフラットな関係であり、おもしろいと思ったアイデアを言い合えるような現場でありたいんです。もちろん、ヒエラルキーがしっかりしている撮影クルーもあると思います。でも、僕はそういうタイプの監督ではありません。スタッフやキャストと、いつでも言葉のキャッチボールができる関係でいたいんです。