現実社会に根ざした舞台でタフな主人公が繰り広げる組織との闘い、その果てに掴む大逆転勝利。観終わった後、誰もが快哉を叫び、心身に力をみなぎらせる、それが「池井戸潤原作」映像作品の醍醐味。唯一無二のその瞬間を求め、新作旧作問わず続々と映像化が進む中、この夏、異色のアプローチが実現した。
恋愛を軸にした青春映画で多くの若い観客の支持を得ている三木孝浩監督による『アキラとあきら』の映画化。池井戸氏の作品群の中では珍しい、若い主人公たちが自らの宿命と格闘する物語は、いったいどのように映画化されたのか? そして、世にどんな風を送り込むのか。原作者の池井戸氏、そして「マーベルシリーズに参加する意気込みで」撮影に臨んだという三木監督が語り合った。
青春や恋愛を描く繊細さで「池井戸的」世界観を揺さぶる
三木 僕としてはオファーを受けた段階から「ついに池井戸ユニバースに参加できるんだ!」という喜びでいっぱいでしたが、池井戸さんは不安じゃなかったですか?
池井戸 いやいや。三木さんの作品はおじさんの僕にはまぶしすぎてちゃんと拝見できていなかったんですが(笑)、若い主人公の恋愛ものをたくさん撮っておられると聞いて、むしろいいな、楽しみだなと感じていました。
三木 それならよかった。原作をいくつも読ませていただき、数々の映像も拝見していて、ビックリしましたが、それ以上にワクワクが勝っていました。とくに、『アキラとあきら』は青年たちの成長譚であり、青春ものにも似た空気を感じさせる作品。だったら、僕の今までの経験値も活かせるんじゃないかと。
池井戸 僕の小説の映像化というと、アクションや台詞回しが迫力重視でデフォルメされた形になることが多いんですが、本当はもう少し人間関係や人の心の機微を緻密に書いているつもりなんですよ(笑)。そういうものを表現するのに、もしかすると恋愛映画の撮り方はふさわしいんじゃないかと‥‥。出来上がった映画を観て、確かにその通りだったと実感したところです。
三木 ありがとうございます。勧善懲悪式に憎い相手を叩きのめすのも確かに素晴らしいエンタテインメントで、主人公が耐え忍んで耐え忍んで大逆転することを期待されて観る方もたくさんいらっしゃると思います。でも、『アキラとあきら』はそれだけじゃない。そこが僕にとってはラッキーなところでもあって、いつもの作品への期待をある種裏切りつつも、それをさらに超えるカタルシスを生み出せるように‥‥と、逆にモチベーションを高めて挑むことができました。
池井戸 見事にそうなっていましたね。
三木 もうひとつありがたかったのは、原作に書かれたバブル期から、時代を少し現代にずらす提案を受け入れてくださったこと。僕はこの物語を最初に読んだとき、「これは若い観客に届けるべき物語だな」と感じました。SNS時代の今は、何かというと意見の異なる相手をすぐに“敵認定”し、対立や分断が生まれてしまいがち。自分と違う価値観の持ち主とどう付き合っていくのか、それをテーマにしている『アキラとあきら』だからこそ、現代を生きる自分の物語だと思ってもらいたかったんです。