Feb 04, 2021 column

31:今も輝き続けるプレイステーション産みの親 久夛良木健 (2)

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業界のプロフェッショナルに、様々な視点でエンターテインメント分野の話を語っていただく本企画。日本のゲーム・エンターテインメント黎明期から活躍し現在も最前線で業務に携わる、エンタメ・ストラテジストの内海州史が、ゲーム業界を中心とする、デジタル・エンターテインメント業界の歴史や業界最新トレンドの話を語ります。

30「今も輝き続けるプレイステーション産みの親 久夛良木健 (1)はこちら

ソニーの大賀典雄社長(当時)に対して作ったプレイステーションのビジネスを前進させるためのプレゼンテーション資料の中でも、久夛良木さんは特別な視点を見せていました。「プレイステーションはプラットフォームである、したがってプレイステーション1から始まり、2,3,4と続いていく」のだと。「バックワードコンパチがOSによってなされ、したがって我々の敵は任天堂やセガではなく、マイクロソフト(MS)になる」というのです。 

まだ、マイクロソフトはゲーム業界になく参入意思まで示していない時代でした。具体的な言葉ではありませんが、リビングルームのセットトップボックス、ステーションになるといっているようなものです。また、当時はプレイステーションのハードウエアの影も形もありません。まさにほら吹き状態なのですが、その資料を作っているときには私もすごいことに関わっていると、勇気がわいてきたのを今でも覚えています。 

そのプレゼンテーションをうけて、当時の大賀社長はGoを出します。幸運にも自分も居合わせましたが、7-8人の内輪の集まった会議の場です。おそらくすべての投資を含めると当時でも数百億を優に達する決断になります。大賀さんは、本人が元オペラ歌手という鬼才の背景をもつためか、このユニークな久夛良木さんのポテンシャルを誰よりも非常に高く認めていた方ですが、プレイステーションのプランを見、そして、その周りにいるソニーミュージックの丸山さん、ソニー株の徳中さん等などを含めたチームを見て、久夛良木さんにかけたのです。 

もう一人、久夛良木さんの才能をいち早く認め、あのポジションにまで担いだのはソニーの人材ではありませんでした。当時ソニーミュージックの副社長(後の社長)の丸山茂雄さんがその人です。一部の方にはよく知られていますが、エピックソニーレーベルを日本で立上げ、Zeppやアニプレックスを作ったのも丸山さんです。 

丸山さんは、音楽アーティストの発掘を何人も手がけており、扱いの難しいクリエイターに対する耐性や経験、リスペクトを持つ人物です。彼が、久夛良木さんと出会い、何か大きな可能性を感じ、そのクリエイターに通じる特徴をつかみ、我儘なアーティストのような久夛良木さんをタレントとして扱い、彼自身がマネージャーとなってチームを作っていったのです。 

どういう経緯でそうなったのか詳しくわかりませんが、久夛良木さんがのちのソニーCEOの出井伸之さんが本部長だった事業部とそりが合わない状況にあり、かつソニー側のスポンサーを求めていた丸山さんは、当時ソニーの経営企画部門の徳中暉久さんを捕まえたのです。また、我の強い久夛良木さんを音楽業界風に「くたちゃん」と呼び親近感を持たせ、ソニーコンピュータエンタテインメント(SCE)の文化のベースを作ったのも丸山さんといっても過言ではありません。 

そのような手厚いサポートを受けて、久夛良木さんのビジョンが爆発したのがプレイステーションなのです。エンジニアの人たちに聞くと、あれはすごい、ここがもう少しで危なかったけど、英断でリカバリしたとか様々な逸話が出てきますが、皆がプロジェクトにはロマンを感じていたことは明らかです。私は戦略周りのサポートがメインでしたが、現場ではとことん細かいレベルのスペックまで調整して、ぎりぎりの状態で凄いものを作っている感覚が持てたことは、ある意味エンジニアにとっては夢のプロジェクトであったのでしょう。 

久夛良木さんが私によく言われていた言葉は、彼らしく皮肉を込めて、「ずっとコーポレートにいると馬鹿になるから早く現場に出ろ」でした。エリート然としたコーポレートから、私がアメリカに移ってから、自ら進んで現場で這いずり回り、走り回ったのには久夛良木さんの影響がとても大きいのです。 

久夛良木さんのお茶目で柔らかい発想の例を示すものはいくらでもあるのですが、最後にもう一例をご紹介します。日本のSCE(Sony Computer Entertainment)では若い人材が活躍しており、エンジニアの係長クラスが仕事を回していました。名刺に書かれている彼ら係長のタイトルの英語表記はAssistant Manager=アシスタントマネジャーです。一方、彼らがやりとりをするアメリカのマーケティングやオペレーション、サードパーティ営業のスタッフたちのタイトルは、Manager=マネジャーやDirector=ディレクター、場合によってはVice President=バイスプレジデントです。 

それを見た久夛良木さんが、「アメリカ側のタイトルがインフレしていてけしからん、きちんと日本のレベルに合わせるべきである」と文句を言いました。それに対して、私がそれはSCEA(Sony Computer Entertainment of America)の問題でなくアメリカの国としてのタイトルのつけ方の問題であるから、「むしろ日本のSCEの英語タイトル表記をアメリカに合わせればいいではないか、久夛良木さんだってもっといい英語タイトルをつけたほうがいい」と言ったところ、あっさり採用。目を輝かせてそれはいいアイデアだというのです。ちなみに、SCEがソニーの完全子会社であればこんなことはできませんでした。 

高い視点と強くチャレンジするマインド、現場でのビジョンと細部を併せ持つモノづくり、久夛良木さんの新たなチャレンジに期待する理由がいくらでもあるのです。競争も激しく混沌とした自動運転という難しいであろうミッションだと思いますが、何を成し遂げるのか、今からとても楽しみです。久夛良木さんの活躍を見て、私も年齢などを言い訳とせずに頑張らなくてはと思います。 

Entertainment Business Strategist
エンタメ・ストラテジスト
内海州史

内海州史

1986年ソニー㈱入社、本社の総合企画室に配属。その後、社内留学制度でWhartonでMBA取得。ソニー・コンピューエンタテインメントの設立、プレイステーションのアメリカビジネスの立上げに深く携わる。その後、セガ取締役シニア・バイス・プレジデントに就任し、ドリームキャストの立上げを経験。ディズニーのゲーム部門のアジア・日本代表時に日本発のディズニーゲーム作品『キングダムハーツ』の大ヒットに深くかかわる。2003年にクリエイターの水口哲也氏と共にキューエンタテインメントを設立し、CEO就任。ビデオゲーム、PCやモバイルゲームにて多くのヒットを輩出。2013年ワーナーミュージックジャパンの代表取締役社長に就任し、デジタル化と音楽事務所設立を推進。2016年にサイバード社の代表取締役社長に就任。現在株式会社セガの取締役CSO、ジャパンアジアスタジオ統括本部本部長。