Sep 24, 2020 column

14: 起業してゲーム会社を設立、大企業サラリーマンから経営者へ

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ということで、まず資金繰りとキャッシュフローについての話です。

今までに大手企業の経営企画や管理、そして事業の運営経験もあった為、資金繰りに関してはある程度理解できていると思っていました。ところが、起業してから本当の意味では、資金繰りというものを理解していなかったと実感。

資金の調達は当然のことながら、バランスシートの読み方やキャッシュフローの要点を本当に理解することも重要です。自己資金の調達や資金借入の難しさもありますし、事業機会も起業の重要な要素ですが、当然大きなリスクであります。

私の場合は、ある意味突発的な起業であった事と、起業の資金について不安であった為、運営資金を前もって確保できるように下請け事業からスタートしました。非常に小さいチームで始めて、業界のネットワークを通じ素早く、いくつかの契約を成立させていきます。

大変であったものの水口哲也というブランドの存在や自身のネットワークも有効に使うことができ、『星のカービィシリーズ』や『大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ』で有名なゲームクリエイター桜井政博さんとも協業できるなど、一般的には順調なスタートを切りました。

色々と苦労がありながらも、スタート時にほどほどの開発規模でプロジェクトを回し、会社を運営していくことができました。その後、さらに事業を拡大するために、マイクロソフトと比較的大きな契約を交わします。

そして、ここで初めて資金繰りの問題に直面したのです。ほぼすべてのゲーム開発では、契約したら全額最初にお金が支払われるわけではありません。マイルストーンといってプロジェクトの進捗管理をするための中間目標に沿って、費用を分けて支払われることになるのが一般的です。

クリエイティブな商品は、開発の途中で迷ったり変更をしたりすることがあるのですが、それが発生するとマイルストーンの達成が遅れる事が多々あります。そうなると、あてにしていた入金が遅れることになり、給与及び外部への支払いができなくなるというサイクルが起こります。

プロジェクト的には利益が出ても、短期的に資金がなくなるとプロジェクト自体が進められなくなります。それまでお金を借りに行く経験がなかった私は、資金繰りが苦しくなった当初、どこからお金を借りればよいかもわからず、まずは知り合いの財務担当の方から情報を仕入れつつ、会社の口座を開けていた銀行をはじめ各銀行を回ります。

設立して1年にも満たない会社で、過去の参照する業績データも少ない中、お金を貸してくれる銀行は当然ありません。マイクロソフトとの契約書が英語だったことも、融資担当者にはよく理解できなかったのも意外でした。面白い事業だと思うけど、この内容だと・・・と各銀行の担当者は興味をもちつつ同情してくれるのですが、お金を借りられるという事態に至らないケースが続きます。

ところが、あるゲーム業界の重鎮が、ゲーム事業のことをよく理解しているという某銀行の方を紹介してくださりお会いした所、事業の紹介とマイクロソフトの契約書を見せると個人補償を付けることで、すんなりお金を貸してくれることになりました。

そこで、今まで色よい返事をくれなかった銀行に報告に行くと、今度はその銀行も貸してくれるといい始めます。業界の重鎮のアドバイスは借りれるときに借りておけという事だったのでこちらもとりあえず借りました。銀行は借りたい人には貸さない、借りたくない人には貸したいというおかしな考え方ですが、貸す方のリスクを考えるとすごく当たり前のロジックで行動するのです。

そして、ようやく運転資金として数千万円のお金を個人補償付きで調達することができました。それにしても、数千万円の保証を個人で行うというのは精神的にはずいぶんプレッシャーです。後に数億円借りる事になりますが、その何とも言えない重圧はサラリーマンにはない感覚だと思います。

大金を管理し、銀行や信用金庫とうまい付き合いをするというのは、サラリーマンではあまり経験しにくいことですが、起業の際には、必要になるノウハウであると言えるでしょう。そういう意味では、私の経験は、起業の下たという意味では、反面教師として見てもらうとよいと思います。財務実務の知識が十分に無い中で、大きく事業をふくらましていくという行為は避けるほうが賢明だからです。

左から筆者、水口哲也、17-Bit CEOのJake Kazdal(元United Game Artists staff)

Entertainment Business Strategist
エンタメ・ストラテジスト
内海州史

内海州史

1986年ソニー㈱入社、本社の総合企画室に配属。その後、社内留学制度でWhartonでMBA取得。ソニー・コンピューエンタテインメントの設立、プレイステーションのアメリカビジネスの立上げに深く携わる。その後、セガ取締役シニア・バイス・プレジデントに就任し、ドリームキャストの立上げを経験。ディズニーのゲーム部門のアジア・日本代表時に日本発のディズニーゲーム作品『キングダムハーツ』の大ヒットに深くかかわる。2003年にクリエイターの水口哲也氏と共にキューエンタテインメントを設立し、CEO就任。ビデオゲーム、PCやモバイルゲームにて多くのヒットを輩出。2013年ワーナーミュージックジャパンの代表取締役社長に就任し、デジタル化と音楽事務所設立を推進。2016年にサイバード社の代表取締役社長に就任。現在株式会社セガの取締役CSO、ジャパンアジアスタジオ統括本部本部長。