Sep 17, 2020 column

13: セガへの転職で理解したビジネスマンに必要なサバイバルスキル

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ソニーのことはとても好きでしたし、プレイステーションのビジネスにも大きな愛着がありました。いろんなことが、頭をめぐりましたが、結局転職を決意します。その時に、自分に大きな影響を与えたのは、大学時代にバックパック旅行を経験していたことと、ビジネススクールでMBAを取ったことだと思います。

当時インターネットもなかった時代のバックパック旅行では、自分の興味に従って行き先を決め、途中の過程は電車や船で移動したり、現地で知り合った友人と部屋をシェアしたりして旅を楽しみます。それはパック旅行のような快適さとは真逆の旅ですが、そこには何事にも代えがたい喜びがあり、私はそういうことを楽しめる感覚の持ち主だと感じていたのです。

また、私がMBAを取るために通ったWharton(Wharton School of the University of Pennsylvania) では、ほとんどの友人が、会社を転職しながら自分でキャリアを作っていくことが常識であったことにも影響されました。当時の日本では、私の年代はまだ転職することが一般的ではなかったのですが、私はビジネススクールのマインドにかなり浸食されていたのだと思います。

当時のマネジメント界のスターであった、GEのジャック・ウェルチ氏は “Control your destiny, or someone will.「 自らの運命をコントロールせよ。 さもなければ、他人にコントロールされることになるだろう」”という言葉を残しており、その言葉も当時の私に影響を与えたのだと思います。

この転職をきっかけに、同世代に比べると仕事を変える機会が増えたと思いますし、それによって面白い経験も沢山してきました。ただ、SCEAの社長に就任された平井さんがソニー本社のCEOになっているので、もしかしたら私もソニーにそのまま残っていたら社内で大きなチャンスに恵まれたかもしれないなと思ったこともありました。

自身のキャリアを見返したときに、その経歴に感心してくれる方も多くいるのですが、私自身は結構不器用にキャリアを積み上げてきたなと思ったりもします。ただ、自分が色々な事に興味を持ったことで、他の人以上に様々な景色を見る機会を得られたこともあり、前向きに受け入れています。

当時ソニーを辞めるに際しては、お世話になった方々へのあいさつはとてもつらいものがありました。さらにライバル会社への転職ですから、人事の手続きも結構大変なものでした。そのような、大きなリスクを張ってまで飛び込んだセガですが、転職にまつわるよくある話になりますが、聞いていた話と実際の話は全然違いました。

業界が近いので、いろいろ事前に調べて自分なりの判断をしていくべきですが、当時はそういう知恵がありませんでした。ただ、思っていたことが違ったからと言って文句ばかり言っても始まりません。ソニー社内の皆が反対していたプレイステーションの立ち上げに深く携わったという根拠に乏しい自信を奮い立たせ、すぐに前向きに取り組んでいったので、結果的には良い転職になりました。

現代のあらゆる世代、特に今の若い世代の人達にとって転職は日常的に起こることになっているでしょう。どういうことにあっても、サバイバルしていく能力は、少し高くアンテナをたてて的確な判断をしながら素早く動ける感覚が必要なのかもしれません。自分が気分よく生き抜いて行ける場所に身を置くことが、結局パフォーマンスを上げることにもつながるので、普段からいろいろ周りを観察し、自分自身に対して正確に評価しておくことが、現代のビジネスマンのサバイバルスキルとして不可欠なことなのだと思います。

Entertainment Business Strategist
エンタメ・ストラテジスト
内海州史

内海州史

1986年ソニー㈱入社、本社の総合企画室に配属。その後、社内留学制度でWhartonでMBA取得。ソニー・コンピューエンタテインメントの設立、プレイステーションのアメリカビジネスの立上げに深く携わる。その後、セガ取締役シニア・バイス・プレジデントに就任し、ドリームキャストの立上げを経験。ディズニーのゲーム部門のアジア・日本代表時に日本発のディズニーゲーム作品『キングダムハーツ』の大ヒットに深くかかわる。2003年にクリエイターの水口哲也氏と共にキューエンタテインメントを設立し、CEO就任。ビデオゲーム、PCやモバイルゲームにて多くのヒットを輩出。2013年ワーナーミュージックジャパンの代表取締役社長に就任し、デジタル化と音楽事務所設立を推進。2016年にサイバード社の代表取締役社長に就任。現在株式会社セガの取締役CSO、ジャパンアジアスタジオ統括本部本部長。