Sep 17, 2020 column

13: セガへの転職で理解したビジネスマンに必要なサバイバルスキル

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業界のプロフェッショナルに、様々な視点でエンターテインメント分野の話を語っていただく本企画。日本のゲーム・エンターテインメント黎明期から活躍し現在も最前線で業務に携わる、エンタメ・ストラテジストの内海州史が、ゲーム業界を中心とする、デジタル・エンターテインメント業界の歴史や業界最新トレンドの話を語ります。

12 「盟友 水口哲也との出会いから、ドリームキャストの誕生と敗退まで 」はこちら

前回、プレイステーションの米国ローンチ後にセガ・オブ・アメリカ(SOA)に転職した話を書きました。今から振り返っても、よく転職したものだと驚きますし、正直自分自身であきれるところもあるのですが、本コラムを読んでくださっている皆さんの、転職に対する考え方の参考にもなると思い、今回はいかにして転職し、そしてそこでよかったと思った事や失敗したなと思う事を、当時を振り返りつつ書きたいと思います。

SCEAの初代社長スティー・ブレイス(Steve Race)が辞任し、Sony USAのマネジメントがSCEAの社長に人材を送り込んでも、現場や日本のSCEからのダメ出しもあり、後のソニーミュージック社長になられた丸山茂雄さんが英語もできない中、毎週アメリカに来て、SCEAの体制づくりをすることになります。

その過程で米国のVice President(VP)以上のマネジメントは解雇されたり退任していったりが続き、最終的に、当時ソニーミュージックの渉外担当で、後にソニーCEOになられた平井一夫さんがSCEAのトップに就任。ソニー本社で広報にいたアンディ・ハウスをマーケティングのトップに据えることで、ようやく安定を見せ始めるのです。私も、サードパーティや日本のIPが中心のゲーム開発部門のVPに起用され、いわゆるトップマネジメントチームに名を連ねることになりました。

数年前は、日本で係長、米国に渡ってからはサードパーティに対して会社の代表として接し、役職もVPになったのですから、サラリーマンとしてみるとそれは普通に考えると素晴らしい状況であったと思います。

ただ、少しわだかまりがあったのは、それまで一緒にやってきた米国人同僚がすべて切られ、そこまで作り上げたインフラや仕組みに対しての評価が日本側に全く評価されていないと感じていたことでした。平井さんもアンディも素晴らしい人たちでしたが、今考えると私も当時はまだ歳若く、少々彼らに対して対抗意識もあったのだと思います。

そのような事を考えていたタイミングで、昔SCEAで上司だった人物が、セガ・オブ・アメリカ (SOA)の社長に就任します。彼とは個人的にも付き合いが続いており、セガに来てSOAの開発のトップをやらないかとしきりに声をかけてくれるのです。

ある時、彼に誘われて食事に行くと、当時セガの副社長であった入交昭一郎さんも同席しており、是非セガに来てほしいと誘ってくれたのです。若干39歳でホンダの取締役に就任した伝説を持つ入交さんのことは、MBAの授業でもケーススタディの題材になっていたのでよく存じ上げていました。また、彼の前向きな魅力はすさまじく、私の心の隙をはげしく突くことになります。

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