映画の誕生を見届ける職人集団 " 東京現像所 / Togen " 04:東京現像所が挑む東宝特撮デジタル修復 (前編) 『地球防衛軍』はいかにして作られたか 解説コラム part 1
東京現像所は、フィルム時代から今日に至るまで、映像業界の発展に寄与してきた幅広い映像作品の総合ポストプロダクション。劇場用映画・TVアニメからネット配信コンテンツなど、撮影データから初号完成に向けたDIを始めとする、長年の経験値を織り交ぜたポスプロ作業やヒューマン・ソリューションを提供。新作のポスプロの他にも、名作映画・ドラマなどの貴重なフィルムやテープ素材をデジタルデータに置き換え、必要に応じて高品質のデジタルリマスタリングを行う「映像修復 (アーカイブ) 事業」にも力を注いでいる。(東京現像所沿革)
2023年11月末 (予定) に、惜しまれつつも全事業を終了する。事業終了した後、DI事業、映像編集事業、アーカイブ事業は、東宝グループに承継され、現在携わっているメンバーは、大半が東宝スタジオに移籍する予定。
カラー映画の需要が高まりつつあった1955年、既存の東洋現像所(現IMAGICA)に競合する大規模な現像所として設立され、それから68年にわたって、映画・アニメ・TVを中心として映像の総合ポストプロダクションとして数々の名作を送り出してきた。
「午前十時の映画祭」で上映された『地球防衛軍』(1957)の4Kリマスターが大きな話題を集めている。東京現像所が総力を結集して、フィルム・音声を修復し、目が覚めるような画質と音質で甦らせた。
映画が黄金時代を迎えていた1957年、『地球防衛軍』はどのようにして作られたのだろうか。その軌跡をたどってみたい。
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のどかな日本の田舎町に突如として巨大ロボット・モゲラが出現し、それをコントロールする遊星人・ミステリアンが安住の地を求めて富士山麓の原野に巨大なドームと共に姿を現す。半径3キロの土地と、地球人との婚姻の自由を求める平和的な姿勢を見せるミステリアンだが、土地の占拠、女性の拉致を平然と行う姿に、防衛軍は徹底抗戦を決定する。しかし、圧倒的な文明の差によって防衛軍は完敗。このままではミステリアンに地球を侵略されてしまう。世界各国が参加する地球防衛軍が結成され、総力を結集してミステリアンに立ち向かうことになる。
壮大なスケールの物語を、円谷英二 率いる東宝特撮スタッフが映像化し、日常のディテールを丁寧に描く本多猪四郎の演出と見事な調和を見せる『地球防衛軍』を観れば、誰もが66年前にこれだけ質が高く、想像力に満ちた和製SF映画を生みだしたことに感嘆する。
シネマスコープと日本映画
『地球防衛軍』が製作された1957年は、日本の映画入場者数が10億人を突破した年にあたる。翌年には史上最高の入場者数を記録し、そこから緩やかに下降線をたどっていったことを思えば、本作は映画黄金時代の真っ只中に製作されたことになる。
1957年の日本映画は、黒澤明監督が『蜘蛛巣城』を、木下惠介監督が『喜びも悲しみも幾歳月』を、川島雄三監督が『幕末太陽傳』を撮り、前年にデビューした石原裕次郎が『俺は待ってるぜ』『嵐を呼ぶ男』などの主演作で映画スターのトップに躍り出た年でもある。
この年の日本映画界の大きなトピックに、「シネマスコープ」(以下シネスコ)の導入があった。すでに4年前からアメリカ映画『聖衣』を皮切りに劇映画に取り入れられ、同時期に登場したシネラマ、ビスタビジョン、70mmなど大型映画が群雄割拠する中で世界的に普及したのが、従来の撮影・上映システムを流用できるシネスコだった。
アナモフィックレンズを装着することで2分の1に圧縮して撮影し、映写時に拡張することで、横長(画面縦横比率は1×2.35)の画面を得るシネマスコープ。このシステムを日本で最初に取り入れたのは、東映だった。フランスのシネパノラミック・アタッチメント・レンズを用いて、「東映スコープ」の名称で『鳳城の花嫁』(1957)より使用を開始した。2番手となったのは新東宝の『明治天皇と日露大戦争』(1957)。さらに日活、松竹、大映と各社がシネスコに参入したが、いずれも、ディアリスコープ、スーパースコープ、スキャノスコープなど海外のスコープ・システムを借用し、自社の名前を冠したものだった。
そのなかで東宝は唯一、自社で「東宝スコープ」を開発。劇映画では市川崑監督『東北の神武たち』(1957)で最初に使用された(公開が遅れたために、東宝スコープ第1回作品の冠は、『大当り三人娘』に奪われることになったが)。
業界誌『興行界』の1957年2月号に、「邦画各社のワイドスクリーン映画展望」という特集が組まれている。そのなかで東宝の動向については、『大当り三人娘』に続いて、黒澤明監督『隠し砦の三悪人』をシネスコと従来のスタンダードサイズで並行撮影を行い、「ついで宇宙映画『地球防衛軍』が六月から開始される」と記されている。
実際には『隠し砦の三悪人』の撮影は翌年に持ち越され、スタンダードサイズとシネスコの2パターンを撮るのではなく、東宝スコープのみで撮影されることになるが、それはともかく、1957年12月28日に『サザエさんの青春』と2本立てで公開されることになる正月映画『地球防衛軍』が、すでにその年の初頭にはラインナップに入っていることに注目すべきだろう。黒澤映画と同じく、当時としては時間をかけて企画を練り、撮影準備にあたっていたことがうかがえる。
『ゴジラ』『空の大怪獣ラドン』、そして『地球防衛軍』へ
1954年11月に公開された第1作の『ゴジラ』以来、プロデューサーの田中友幸は、同作の監督を担った本多猪四郎、特技監督の円谷英二とのトリオで、次々と特撮映画を生み出していく。1956年に製作された『空の大怪獣ラドン』は、東宝初のカラー怪獣映画となった。その翌年に生まれたのが、東宝特撮初のカラー・シネマスコープ作品であり、本格SFへと歩を進めた野心作『地球防衛軍』である。といっても、唐突に生まれたわけではない。
『ゴジラ』の大ヒットを受けて、東宝は短期間のうちに続編の『ゴジラの逆襲』(1955)を製作。それ以外にも特撮を用いた作品を次々に公開した。しかし、準備期間の短さもあり、ゴジラのようなヒットには結びつかない。その試行錯誤のなかで、田中友幸プロデューサーは教訓を得る。曰く――「現実には起こり得ないことを、リアリティたっぷりに画面に出すこと、その面白さこそが『ゴジラ』大ヒットの要因だと、ようやく知ったのだ。『ゴジラ』は空想の所産であり、現実には存在しないからこそ魅力的だったのだ」(「東宝特撮映画全史」)。
何でもありの荒唐無稽なものではなく、いかにリアリティを持って現実には存在しないものを描くか。円谷の優れた特撮技術に依存しているだけでは充分とは言えない。その前段階で物語の世界観、設定を緻密に構築しておかなければ、リアリティは薄れてしまう。田中は怪獣に限定することなく空想の翼を広げ、かつ現実に即した物語を生み出そうとした。そうして生まれたのが、『地球防衛軍』だった。
初期の東宝特撮には〈原作〉のクレジットが多く見られる。『ゴジラ』は、田中が大まかなストーリーと怪獣のキャラクターを考案したあと、作家の香山滋に原作の執筆を依頼してストーリーを作成し、本多監督と脚本家の村田武雄によって脚本が作られた。
こうした二段構えのストーリー作りは、『獣人雪男』『空の大怪獣ラドン』『大怪獣バラン』『モスラ』『マタンゴ』などでも踏襲されており、テーマの設定、ストーリーに重厚さをもたらす点でも有効だったようだ。
『地球防衛軍』で田中が白羽の矢を立てた作家は、丘美丈二郎。といっても、当時はまだ著作もなく、雑誌「宝石」などで探偵小説、SF小説を執筆していた無名に近い存在だった。田中が彼に注目するきっかけになったのは、1953年7月発行の「宝石増刊」で発表された「鉛の小函」だった。
195X年を舞台にした「鉛の小函」は、世界各国が参加する宇宙挺の操縦士に旧日本軍パイロットが抜擢され、火星へ向かう。そのなかで、かつて火星と木星の間にも遊星が存在し、高度な文明を持つ生物が不用意にも原子力を使用したことで遊星を破壊したのではないかと語られる。そして火星に移住した高度生物が地球へ移住することを画策し、円盤によって地球へ飛来している――実はこの話には裏があるのだが、『地球防衛軍』を観れば、「鉛の小函」の影響を見て取ることができるだろう。田中がこの作者に注目したことも納得できる。
現在の映画の作り方なら、「鉛の小函」の映画化権を取り、脚色することになるだろうが、丘美に新たな原作を書かせるところから田中は始めている。
1955年頃と推測されるが、当時、航空自衛隊のテストパイロットを本業としていた丘美が駐屯する自衛隊の仙台基地(浜松の説もあり)を田中が訪問し、原作の執筆を依頼した。
丘美の記憶では、田中からは「地球が宇宙から攻められて、それを防御するという形のものをやってみてくれないか」(「東宝SF特撮映画シリーズVOL.5 キングコング対ゴジラ/地球防衛軍」)と注文されたという。また雑誌に載せられるようなものにしてほしいという要望を受け、最初から小説形式で執筆されることになった。完成した原作は、400字詰め原稿用紙で200枚を超えるものになったという。
残念ながら、この原作は活字化されなかったため、どこまで忠実に映画化されたかは不明である。丘美の証言では、原作にはモゲラは登場せず、またミステリアンが地球の女性たちを拉致して結婚しようとするくだりや、平田昭彦が演じた科学者がミステリアンの側に付くが、やがて彼らの真の目的を知って苦悩するという展開も原作にはないという。どうやら、これらの要素は潤色の香山滋によって付け加えられたとおぼしい。丘美は、「そんなことを考えもしないから、香山さんに『もっとロマンを』なんて言われるんでしょうけどね」(前掲「東宝SF特撮映画シリーズVOL.5」)と苦笑するが、田中は丘美の発想を高く評価し、以降も『宇宙大戦争』(1959)、『妖星ゴラス』(1962)、『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964)の原作を依頼している。
なお、丘美の原作については、円谷英二が以下のように書き残している。
「私がその原稿を読まされたのは、400字詰めの原稿用紙が300枚近い膨大なものだった。大概ならうんざりするところだが、読んでいるうちに、すっかり面白くなって一気に読んでしまった。しかも興味のうちに、核爆発の連鎖反応だとか、制限爆発などの初歩的理論が、私のようなシロウトにもよくわかるのでおどろいたものである。と同時にこんな原作者を探した田中プロデューサーの嗅覚の的確さは見上げたものだと感心した。なによりも嬉しかったのは、空想科学映画らしいうってつけの原作を得たことだった」(「漫画読売」57年12月号、「定本 円谷英二随筆評論集成」収載)
こうして、世界観と理論的な裏付けをした丘美の原作を得ることで、田中の特撮映画作りのテーゼとなった「現実には起こり得ないことを、リアリティたっぷりに画面に出す」ことを可能にしたのだ。
小松崎茂の設定画を具体化するために
1950年代のハリウッドはSF映画を量産してきた。そのとば口となったのは、アカデミー視覚効果賞を受賞した『月世界征服』(1950)である。
それまでも月を舞台にした空想科学映画は、『月世界旅行』(1902)、『月世界の女』(1929)などが作られていたが、『月世界征服』は、ロバート・A・ハインラインの『宇宙船ガリレオ号』を原作に、当時の最先端科学を踏まえて映像化されており、今見てもその予見ぶりと、類まれな想像力には驚かされる。
同作のプロデューサー、ジョージ・パルは『月世界征服』成功を受けて、『地球最後の日』(1951)、『宇宙戦争』(1953)など画期的なSF映画を生み出し、50年代のSF映画ブームを牽引していく。この時期には『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956)、『遊星よりの物体X』(1951)等々のSF映画も生まれている。
もう1本、この時期に重要なSF映画が誕生した。ロバート・ワイズ監督の『地球の静止する日』(1951)である。宇宙船がワシントンに飛来し、異星人とロボットが現れる。最初は〈友好的外星人〉だったが、人類が要求を受け入れないとなると態度を硬化させ、その絶大な力を誇示し、人類は恐慌をきたす。
こうしたSF映画ブームは、日本映画にも影響を与えた。大映の『宇宙人東京に現わる』(1956)が先陣を切って登場したが、企画自体は『地球防衛軍』の方が先行していた。しかし、同時期に似た映画を公開するのは得策ではないと判断され、翌年まで製作が持ち越された。
なお、1960年に東宝が『第三次世界大戦 東京最後の日』を準備していた際、東映が先行して『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』を製作し、内容が酷似していると指摘を受けたことがある。結果として東宝版は製作延期となり、翌年に仕切り直されて『世界大戦争』(1961)が作られたが、東宝では企画が競合した場合、先を争うのではなく、むしろ一歩後退して準備に時間をかけ、より大規模なものを目指す傾向があり、『地球防衛軍』の壮大な世界観と数々の見事なディテールは、そうした東宝の方針に負うものが大きいのではないか。
ところで、本作の準備段階で特筆すべきなのは、丘美丈二郎に原作を書かせたことに加えて、当時、雑誌のSF絵物語で定評があったイラストレーターの小松崎茂が設定を担当したことだろう。1956年末に本作の製作が正式に決定すると、直ちに小松崎へ依頼された。その理由を円谷が語っている。
「科学者に意見を聞くことは、一番良いとは思ったが、“なにをバカな”と一言のもとに片付けられそうな気がして、どうにも聞きに行く勇気がない。そこで考えついたのは、空想科学戦などの絵をかいている小松崎茂氏に、こちらの腹案を話して、氏の空想力による原画を描いてもらうことだった。依頼に千葉県の小松崎氏をたずねると、こころよく引き受けてくれた。そして出来上がった絵は、外形の絵だけでなく、ミステリアンの要塞の内部構造や、各室、通路、動力室および動力源まで、まことに微細を極めたものだった」(前掲『漫画読売』『定本 円谷英二随筆評論集成』)
実際、小松崎の設定デザインを見ると、その緻密な描き込み、設定に驚かされる。ミステリアンの作った宇宙ステーションには、デザイン画に加えて「頂上にあるステーは隕石から防御するためのもので廻転します」と書き込まれ、「彼らはモゲラを使用してかかる大規模な地下要塞を作り上げた」とキャプションが付いた地下要塞の図には、その構造が詳細に書き込まれている。
これらの設定を基に技術スタッフが図面を起こし、ミニチュアの製作を行っていくことになる。1957年6月下旬から始まった撮影準備は、ミステリアン側だけでも宇宙ステーション、円盤、モゲラ、ドーム状の要塞基地等が登場し、地球防衛軍側は空飛ぶ戦艦アルファ号、ベータ号、熱戦放射器マーカライト・ファープ、三段式ロケットのマーカライト・ジャイロ、ロケット等々が控えており、渡辺明を中心とした特殊美術部のスタッフはミニチュア制作に奔走することになる。
前述の宇宙ステーションは、半径50センチの模型制作に3か月を要したが、円谷がその苦心ぶりを語っている。
「コマを逆にしたような一見なんでもない形のようなものだが、塔の上部にある棒状のプロペラと円盤の下部の部分が、内部にあるモーターで回転するようになっている。重い円盤を真ん中の細いシャフト1本で支えて回転させるので、どうしても円盤の上部と下部の間にスキが出来て、細かい振動が起きる。この振動をなくすために3回も作り直して、やっと完成した」(「東宝」57年12月号、「定本 円谷英二随筆評論集成」収載) 円盤の原型を作った井上泰幸は、「微妙な曲線だから図面の描きようがなくて困りました(笑)。その原型からミニチュアを型抜きして、全部で12機くらい作りましたか。素材は塩化ビニールです」(「特撮映画美術監督 井上泰幸」)と回想する。
メタリックなボディの巨大ロボットが東宝特撮に初めて登場したモゲラ(円谷によると、モグラモチをひねって付けた名称とのこと)は、デザインが二転三転し、撮影直前まで形態が定まらなかった。
小松崎が最初に描いたデザインはゴジラめいた生物感の強いものだったが、モゲラはミステリアンが操縦する掘削機であり、生物ではない。円谷によると、「数回作り直した末、小松崎氏の原画とは似ても似付かぬ、はっきりしたロボットになった」(前掲『漫画読売』『定本 円谷英二随筆評論集成』)。実際、甲冑を思わせるキャタピラ状の装甲、両手、嘴にはドリルが付いたモゲラのデザインは、掘削ロボットかつ、怪獣的なイメージも残す絶妙なものになった。
モゲラのデザインに悪戦苦闘する様子は、『毎日新聞』(57年9月29日・夕刊)の「なんども図を引きなおし、原型も2度作りなおして、いまこの原型から特殊ゴムの“ぬいぐるみ”をこしらえているが、これも大中小の各種を制作するという」という記事からもうかがえる。
記事中の「大中小の各種」とは、人間が中に入るもの、無人のロボット形式のもの、手を入れて上半身の動きを撮るためのものを指している。ゴジラ、ラドンの造形を担った利光貞三が3か月かけてモゲラの制作にあたったが、問題となったのは、いかに生物感を拭い去り、地球には存在しない材質を用いて高度な文明が作り出したモゲラを成立させるかであった。当時、『ゴム時報』『ラバーダイジェスト』といったゴム業界誌に詳細が記されているので、引用しておこう。
「まず油粘土で各部分の原型をつくり、この原型から石膏型をとり、この石膏型に配合ラテックスを流し込んで造型を行った。ゴジラと同様、内部に人が入って動かすので、クッションにフォームラバーを用いた(生ゴムからのスポンヂは比重が大きいため望ましくない)。(略)成形後は外観を金属製らしく見せるために、ポリエステル系の合成樹脂塗料を用いて仕上げが行われた」(『ラバーダイジェスト』(58年11月号)
こうして続々と作り込まれていくミニチュア、着ぐるみの製作費は、「読売新聞」(57年8月23日・夕刊)によれば、「(ミステリアンの)ドーム60万円、モゲラ70万円、円盤(1個)1万円、アルファ号4万5千円、マーカライト・ジャイロ6万円」だったという。
企画開始から3年、1957年6月から2ヶ月にわたって撮影準備が進められた本作は、これまでの『ゴジラ』『空の大怪獣ラドン』を超える大作として作られようとしていた。
田中友幸プロデューサーは、本作の撮影開始を前に、「“ゴジラ”や“ラドン”は円谷監督以下特撮スタッフの能力を条件に入れてシナリオを書いたが、こんどは天下りに、こっちの想像力をしぼったシナリオを押付けたというのが内情だ。このため特撮の作業量は“ラドン”の5倍という大変なものとなったが、完成すれば世界でも珍しいトリック映画になるだろう」(『読売新聞』57年6月15日・夕刊)と予告した。
想像力の限界に挑むSF大作の撮影がいよいよ始まろうとしていた。
文・吉田伊知郎
写真協力:TOHOマーケティング
【参考文献】
「読売新聞」「毎日新聞」「週刊娯楽よみうり」「週刊サンケイ」「中学生の友」「東宝」「キネマ旬報」「映画評論」「東宝特撮映画全史」(東宝株式会社)、「東宝SF特撮映画シリーズVOL.5 キングコング対ゴジラ・地球防衛軍」(東宝出版事業室)、「定本 円谷英二随筆評論集成」(円谷英二 著、ワイズ出版)、「円谷英二の映像世界」(実業之日本社)、「神を放った男 映画製作者 田中友幸とその時代」(田中文雄 著、キネマ旬報社)、「小史にかえて 博覧会と田中友幸」(日本創造企画株式会社)、「特撮映画美術監督 井上泰幸」(キネマ旬報社)、「「ゴジラ」東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー・田中友幸とその時代」(角川書店)、「特撮をめぐる人々 日本映画 昭和の時代」(竹内博 著、ワイズ出版)、「僕らを育てた合成のすごい人 増補改正版」(アンド・ナウの会)、「映画唯物論宣言」(三隅繁 著、樹花舎)
株式会社東京現像所 (TOKYO LABORATORY LTD.)
所在地:本社 東京都調布市富士見町2-13
1955年、東宝・大映・大沢商会など、映画関係各社の出資により設立。2023年11月30日に全事業を終了。
映画『地球防衛軍』<東宝特撮Blu-rayセレクション>
富士山麓で奇怪な山火事と山崩れが発生。調査に向かった渥美の前にロボット怪獣モゲラが姿を現した。モゲラ出現が異星人の仕業と推測した安達博士と渥美ら一行は、空飛ぶ円盤が頻繁に目撃されているという現地に到着。すると地表を突き破り、突如巨大ドームが姿を現した。ドームに身を隠していたミステリアンと名乗る宇宙人は、ドームから半径3キロの土地の割譲と地球人女性との結婚の自由を要求してくるがーー。
監督:本多猪四郎
出演:佐原健二、平田昭彦、白川由美、土屋嘉男、河内桃子、藤田進、志村喬、小杉義男
発売・販売元:東宝
「地球防衛軍」© TOHO CO., LTD.
発売中 (※4Kリマスターではありません)
販売サイト:https://tohotheaterstore.jp/items/TBR20063D