かつて夢を追い、音楽にすべてを捧げた男マイク。だが今は、誰かの“歌まね”でしかステージに立てない、人生のどん底にいた。そんな彼の運命を変えたのが、同じ情熱を胸に秘めた女性クレアとの出会いだった。敬愛するニール・ダイアモンドのトリビュートバンドを結成し、小さなガレージから始まったふたりの歌声は、やがて多くの人の心をつかんでいく。『ソング・サング・ブルー/Song Sung Blue』は、愛と夢、そしてお互いを信じ続けた夫婦の感動の実話を描く音楽映画。
好きなものを信じること、人生の途中からでももう一度立ち上がれること、そして誰かと生きることの尊さ。ヒュー・ジャックマンとケイト・ハドソンが演じるこの夫婦の歩みは、音楽映画としての高揚感とともに、観る者の胸にまっすぐ届く。本稿では、そんな『ソング・サング・ブルー/Song Sung Blue』の魅力を紐解いていく。
驚きの実話だ。こういうキャッチコピーがついた実話ベースの映画やドラマは山ほどある。が、『ソング・サング・ブルー/Song Sung Blue』は音楽、映画、アメリカン・ロック&ポップを好きな人にとって、これほどドラマチックで心に刺さる物語は他にはないのでは。実話ベースなので当然のことながらモデルがいるし、本作のプロデューサーにも名を連ねているグレッグ・コーズがそのモデルとなったバンド「ライトニング&サンダー」に8年間密着したドキュメンタリーも存在 (ノンスーパーだが、YouTubeで観られる) 。
ハリウッドらしい、と思えたのはこのドキュメンタリーが、Aクラスのスターを起用した伝記的劇映画として再生したことにある。いくつかのポイントを掘り下げたい。
まずこの作品のモデルになった夫婦、バンド・ライトニング&サンダーことマイクとクレア。彼らがやっていたのは、ニール・ダイアモンドのトリビュートバンドだ。ちょっと意味合いが変わるが、日本で特定のアーティストをコピーした「コピーバンド」「ものまね歌手」がそれに近い。アメリカでのトリビュートバンド (トリビュートアクト) は、誰もが知っている往年のスターのものまねを、お祭りやカジノなどで披露する。日本でも人気のエンタメジャンルでもある。なんせものまね歌合戦がTVで定期的に放映されていたし、ものまねタレント専門のマネジメント会社や箱もあるほどだ。でも、そういったパフォーマンスはどちらかというとお笑いのジャンルで取り上げることが多かった (今はよりアメリカのトリビュートアクトのあり方に近づいていると思われるが)。他国にもこういう文化はそれぞれにあるのだろうが、本作で描かれるアメリカのトリビュート・アクトの裏側は哀愁が漂っている。それは冒頭シーンのマイクを観ているだけでも伝わるはずだ。
音楽での成功を求め続け、楽器の演奏はもちろん歌唱力も磨き上げていたマイクだが、自分が本当にやりたいことが漠然としていたばかりに、「なんでもできる」という器用さを売りにしている。マイク自身の向き不向き、観客からのニーズがマッチしていないのだ。それゆえに、なんでも真似ようとする器用貧乏になっている。この器用貧乏者たちが集まっているのが、エルヴィスやジェームズ・ブラウンなどなどのパフォーマーが待機する冒頭のお祭りの舞台裏。全員、音楽的にもトリビュートアクトに対する情熱も誰にも譲れないプライドを持っていて、おそらくはマイクと同じくかつてはアーティストを生業にしようとしていたドリーマー。しかも、プロモーターは「年配者にウケるパフォーマンス」にこだわり、トリビュートするアーティストはターゲットど真ん中の大物しか受け付けない。これではマイクのように自己表現への欲求を秘めた者にはフィットしない。この葛藤はこの場にいた全員が抱えているはずなのだが、ステージに立てることを優先するか否かで道は分かれることに。
そしてマイクの漠然とした欲求は爆発。だが、ステージをドタキャンしたことで、運命的な出会いがやってくる。それがクレア。彼女も音楽の技術的なところはプロ級だが、普段は美容師として働き、パティ・クラインのトリビュート・アクトをしていた。彼らはともにニール・ダイアモンドの大ファン。しかもニール・ダイアモンドのルックスがマイクに似ていることにクレアが気づいたことから、ライトニング&サンダーが生まれる。敬愛するばかりにはじめこそ躊躇するが、彼の曲を即座にセッションできるレベルということが分かったことで、奇跡的成功への歯車が回り始める。

