「No.1ヒットを出すことは、その楽曲に携わった全ての人を幸せにすることだ」と言ったのは、藤井フミヤ氏であるが、本当にそのとおりだと思う。音楽を生業にしようと思った、若かりし独善的な思い込みが、どれだけ思い込みでもなく独善的でもなかったことを証明するには、第1位になることしか、ない。
『BEAT EMOTION』は、明確にNo.1になるために制作されたアルバムであり、実際にその通りになった。レコーディング期間が短かったことは、スケジュール上の制限もあろうが、BOØWYの4人には、すでに「どんな楽曲を作れば第1位になるのか?」が判っていたのだと思う。ゆえに“産地直送”だったのだ。
冷静に判る頂点に向かうべき作品、それを手抜かりなくおこなえる自分たちを待ち受けているのは、ライブハウスで観客と事あるごとに丁々発止していた自分たちではおそらくないだろう。
であるならば、これまでBOØWYを〜根拠があるにせよ、無根拠にせよ〜熱烈支持してくれた全ての人達に、バンド側から思い切りの謝意があることを、楽曲から必然的に判るNo.1への飛翔感をあえて隠すようにした作品を産み出すことで、滲み出そうとした珠玉のポップ・アルバムなのである。
「感動は偶然には生まれない」とは、かの黒澤明監督(故人)の名言だが、この言説と、僕の言説「壊れなければオトナになれない」は、どこかで妙に結び合わさっている。
(付記)
1:アルバムの先頭を飾る「B・BLUE」のミュージック・ビデオの収録を取材するため、当時、巨大な白ホリゾントのスタジオに行った。絢爛豪華な花々の(山と化した)セットの前で、黒い衣装で演奏し歌う4人を見ていた。そのミュージック・ビデオは、今のPCではいとも簡単にできてしまうコマ送り編集のものだけれど、あの花々の彩りは、忘れないだろう。
2:アルバムのシンガリを務める「SENSITIVE LOVE」(詞曲:氷室京介 編曲:布袋寅泰)は、発表当時“恋愛関係にある男女”の最終局面の一歩手前を描いた楽曲とばかり思っていた。
リリック一節にある♪もう続かない 今になって気づくなんて…
それが、センシティブなバンド内関係を表しているのかもしれないとまでは、読み抜けなかった。
『BEAT EMOTION』の発表時あたりは、毎月というか隔週くらいの間隔でメンバー全員、あるいはメンバーの誰かにインタビューをしており、右肩上がりのバンド人気に比例するように、バンド内のムードも、より高密度になっているとばかり思っていた僕は、行間のない幼稚人だった。
BOØWYの4人のほうが、ずっとオトナだった。
“音楽によって、それを取り巻く全てを推理するミッション”を負っていた音楽文化ライターとしては、ほぼ完全的失格だったと言えよう。
そのことを自覚した上で、「RAIN IN MY HEART」(作詞:松井恒松 作編曲:布袋寅泰)を今、聴くと、イントロのナチュラル・ディストーションのギター・ストロークにかかる♪真夜中に降りだした RAIN IN MY HEARTというリリックが、頬に何やら一筋の熱いものを産ませる。
それは、自分に向けた不甲斐なさばかりでなく、一つの時代のピークに向かう途上に感じた歓喜と、その真裏に潜む絶望に近いものを認識した証かもしれない。
“I SHOULD GO BACK TO BEING LONELY AND CONFUSED”とは、「SENSITIVE LOVE」の最終行だが、歳を重ねてあの時に戻っていこうとした時、感じるのは、孤独と混乱である。
<現存する唯一のBOØWY公式アーカイブ・サイト>
http://sp.boowyhunt.com/