サード・アルバム『BOØWY』は、(旧)西ベルリンのハンザ・スタジオにてレコーディングされた。プロデューサーは、四人囃子〜プラスチックスとキャリアを積んできた佐久間正英氏(故人)。
僕が高橋まことさんに取材した内容によれば、「布袋が、プラスチックスが好きだったことで、佐久間さんに依頼した。で、佐久間さんからの条件が、“ハンザでレコーディングをすること”だった。ハンザはデヴィッド・ボウイの“ベルリン3部作”を産んだ場所だったから、布袋はすぐに承諾。佐久間さんは、根津甚八さん(故人)のレコーディングでハンザを使っていたんだな。そこにアシスタント・エンジニアとして仕事をしていたマイケル・ツィマリングと相性がよかったみたいなんだ」という経緯である。
さらに、まことさんは、「2月の末に行ったベルリンは、もう、寒いなんてもんじゃなくて、街中からコークス(石炭を高温で乾留し固形化したもの)の匂いがするし、とんでもないところに来ちゃったなって思ったよ」と言った。
“分断された都市とコークスの匂い”……ライターの僕としては、この付帯要素2つで、コラム10本と小説1本は書けそうな錯覚に陥る。それくらい、詩的で深い階層がある。
布袋寅泰さんと松井五郎さんが共同作詞し、作曲は布袋さんが担った「DREAMIN‘」からスタートし、氷室京介さんが作詞・作曲をした「CLOUDY HEART」にて終結する『BOØWY』は、やはり、佐久間さんが手を入れた、シンセサイザーとバンド・サウンドの共生、それに、逆アングル・ピッキングと呼ばれた強いベース・ピッキングにより、リズム隊の鮮明的キレが如実になったことが特記事項であろう。
生前の佐久間さんに取材した際、「プロデューサーとしての僕の一番の仕事は“音を整理整頓すること”なんですよ」とおっしゃったが、前作『INSTANT LOVE』で、バンド側としては、やりたいことをてんこ盛りにしつつも聴覚上の旨味を出せなかったポイントを『BOØWY』では見事に克服したばかりか、バンドの「眠れる底力」が、ガラスを思い切り割るように、前面に押し出されたのであった。
(付記)
1:氷室さんとまことさんが共同作詞し、布袋さんが作曲した「BAD FEELING」は、イントロの布袋さんが考案したギターリフによって、多くの人が知る楽曲となり、布袋さんをして「他の人が“BAD FEELING”のリフを弾いても僕のようにはならない」と言わしめた楽曲。
確かにそうなのだが、僕側から言えば「布袋さんが“不思議な=解読されざるタイム感”を持っている」とも判断できる。その布袋さんの不思議なタイム感を支えていたのが、松井恒松&高橋まことの“寡黙&饒舌”のリズム隊ではなかったか?
ソロになって初めてレコーディングをした氷室さんが、名うてのミュージシャンで固められたバックトラックを前にして「どうにも歌いづらいんだよ、俺の感覚の方がおかしいのかな?」と発言したが、その“おかしい感覚”こそが、僕は、バンド・サウンドの根幹だと強く思う。
僕が自説にしている「バンドは生き物である」とは、“固有種としての”生き物の意味である。
「そのビートは、そのバンドにしか出せない」。
2:本稿冒頭に記した、ブランデンブルク門が開通した翌日、僕は東ベルリンに行ってみた。「ダンボールでできているのでは?」と噂された直列2気筒2ストローク・エンジンの乗用車“トラバント”が、小気味よく走り、人々は静かに暮らしているように見えた。
だが、老朽化した公営住宅の一角に入ると、ブロック塀の下に寝転んだりうずくまる若者が多かった。
「煙草を持ってないか?」と何度も聞かれた。
個人の意志ではなく、何か外からの力による「分断」とは、どういうものなのだろう?
その期間が長すぎると、人は生気を失くすのかもしれない。
<現存する唯一のBOØWY公式アーカイブ・サイト>
http://sp.boowyhunt.com/