Sep 16, 2017 column

のちに「BOØWY前」「BOØWY後」と表現されるに至る“あらゆる面でのバンド埋蔵力”をはっきりと示し得たのがアルバム『BOØWY』である。

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=3rd Album『BOØWY』(1985年6月リリース)=

ブランデンブルク門@ドイツ・ベルリンが開通し、歓声と花火が上がった1989年の11月9日、僕は、門から数百メートルのところに立ち、自身の中にある小さな祝福と憎悪を夜空に打ち上げようと、その術を考えていた。

ベルリンの壁のすぐ下、東ベルリン側を流れる淀んだ川には、もはや電流は流れていないのだろうか?……検問所の見張り台に、小銃を抱えた兵士はいなかった。

僕は、ベルリンの壁に近寄り、そっと、壁に触れてみた。
そしてその時、BOØWYの「DREAMIN‘」が、心の中で力強く鳴った。

ハンザ・スタジオ(Das Hansa Tonstudio)は、ベルリンの壁から100メートルも離れていないところに、あった。
石造りの4階建ての建物の2階と3階部分がメインのスタジオとして充てられていた。
したがって、スタジオに入るには1階部分で経営していたカフェの横から階段を昇り、その階段が一度転回するように昇っていったところにスタジオのロビーを確認するのだった。
その転回場所に「ドラムセットを置くと、いいエコーが録れるんじゃないか?」と言ったのが、ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズだったという話を親友から聞き、「然(さ)もありなん」と鵜呑み信用したことを憶えている。

そして、ハンザ・スタジオに行くと、つい思い出してしまう作品が、僕には、ある。

漫画家:石ノ森章太郎先生が描いたSFマンガの傑作『サイボーグ009』の掲載がスタートしたのは1964年のこと(初出は少年画報社の『週刊少年キング』)。

出版社に数百万円の借金をして世界中を巡った石ノ森先生は、特に、虐(しいた)げられた人たちや悲運の境遇に置かれた人をピックアップして、9人のサイボーグ戦士を描いた。
サイボーグになるには、サイボーグ以前の、ヒトであった頃のドラマを描く必要がある。それがなければ9人それぞれのキャラクターが明確にならないばかりか、9人の戦士に渡る通奏低音のようなものも判らないからである。

個人的に涙腺決壊となったのが、(旧)東ドイツ人の004=アルベルト・ハインリヒが担ったドラマだった。

ハインリヒは〜第2次世界大戦のあと、強制的に分断された〜東ドイツから西ドイツへと越境するため(具体的に言えば東ベルリンから西ベルリンへの移動を指す)、ハゲベック・サーカスの動物運搬係に成りすます。

もちろん、非合法な行為だ。

トラックの荷台には、恋人のヒルダが、雌のライオンに仮装していた。ベルリンの壁をくぐる最終関門:ブランデンブルク門を通過する際に、越境のための偽装を見抜かれてしまい、銃撃を食らう。ヒルダは絶命し、ハインリヒは重傷を負いながらも、一命を取り留める。そこに目をつけたのが、“死の商人”とつながりを持つブラック・ゴースト=黒い幽霊団。

ハインリヒは、全身が武器となった戦闘用サイボーグへと変わり、ニックネームは“死神”となった。
004が、大腿部に装備されたマイクロミサイルを発射する際、「見世物じゃない」と言うところが、極私的に大好きだった。

ベルリンの壁は、第2次大戦後の(USAとソ連の)冷戦構造を、敗戦国であるドイツが被(こうむ)った、実に恣意的な建造物だ。
極端な例えをするなら、一夜にして東東京と西東京が分断され、西東京に住んでいる僕は、東に住んでいる友人・知人はおろか親戚縁者にも会えなくなってしまう=往来を拒絶されることに等しい。
本所吾妻橋(墨田区)に住む高校時代の友人に僕が会いに行こうとした場合、隅田川の手前で撃たれてしまうことに匹敵する。

「そんなバカげたなことが、あるものか!」

だが、ベルリン市民は、理不尽さを固唾として飲み込み、戦勝国の判断の風に合わせるしかなかった。