一方で、BOØWYは『MORAL』制作時の事務所とまだ契約が残っていたにもかかわらず,自分たちの事務所を立ち上げる。苦々しく思った前の事務所は「誰もレコーディングをしなくなった深夜から早朝にかけてのみ、スタジオを使ってよし」と通達する。
これは結果論であるが、誰もいないスタジオで朝まで思う存分サウンドメイクとアレンジの煮詰めができたことで、『INSTANT LOVE』は“ポスト・パンク”とはっきりと定義されたニューウェイヴの、例えばアダム&ジ・アンツやバウ・ワウ・ワウといった(共にUKの)バンドのお洒落なサウンドを咀嚼していく作品となった。
しかし、アルバムが完成してもリリース日はなかなか決まらず、プロモーションはほぼゼロに近かったのでもある。
BOØWYの「Ø」に込められた単純的な意味、つまり“どこにも属さない、誰にも似ていない”とは、心意気としてはとても素晴らしいが、ケータイ電話もインターネットも普及していなかった1980年代の前半において、自分たちから発信するツールがなかった時代に、その思想めいたものを貫徹することは非常にむずかしかった。
したがって、どこかの事務所やレコード会社に“所属”し、楽曲集としてのアルバムをTVやらラジオやら雑誌というメディア=媒体を介して紹介してもらい、その過程で“BOØWYって○○っぽいね”という形容やセグメントを受けてしまうのは、ほぼ当たり前のことだったと言える。
“どこにも属さない”とは“何かに反旗をひるがえす”のとは違う、実に曖昧で観念的な意志であり、ゆえに、仮想敵がいない分だけ実現がむずかしい。仮想敵をいちいち負かしていく方が、わかりやすいし、言ってみれば、人の同情を買いやすい。つまり“ヤツら”を“オトナ”とほぼ同一視していた前作『MORAL』の方が本作よりも判りやすかったとも解明できるのだ。
どこにも行き場がなくなったBOØWYは、ただライブ=GIGだけを繰り返していた。
(付記)
1:本作の最終トラックを飾る「THIS MOMENT」は、BOØWY全楽曲の中でほとんど唯一の完全的レゲエ・アレンジメントが施された楽曲。「パンクとレゲエを聴いていれば、時代をつかむことができる」と豪語された70年代の終わりに、それ対してもシラケながら、マイナー・コードに乗せた刹那主義=THIS MOMENTは、同時代人としての心的共鳴がレッドゾーンを振り切っている。そして、個人的にBOØWYの全楽曲の中で、最も愛してやまないナンバーでもある。
(間奏で聴くことのできるピアノとスティール・パンを混ぜ合わせたような音をシンセサイザーで作ったのは、布袋寅泰さんであろうが、その、音に対する情熱的にして冷徹な感性軸は、今も光を失ってはいないだろう)。
2:「自家発電型メディア」と形容された「ライブ」は、そこ=ステージだけから楽曲を発信し、結果プロモーションができるという意味合いにおいての形容だった。
つまり、BOØWYはライブだけを、主なプロモーション・ツールとしていたと言える。
彼らには、おびただしい数のブートレグ(いわゆる海賊盤)が存在するが、それは、BOØWYの4人がステージから放たれることに対して、ライブ録音という規制を〜特に初期において〜厳密に徹底しなかったからでもある。
「ライブ=GIGだけが命脈だった」…そのことは、彼らの最後のライブであるLAST GIGS@東京ドームまで貫かれることになる。
<現存する唯一のBOØWY公式アーカイブ・サイト>
http://sp.boowyhunt.com/