Aug 19, 2017 column

『INSTANT LOVE』は、音楽への探究心を逆境の中で開花させた野心作である。

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=2nd Album『INSTANT LOVE』(1983年9月リリース)=

連合赤軍による“あさま山荘事件”が起きたのは、1972年2月のことであり、当時の僕は小学5年生。よって、連合赤軍が新左翼組織であることも、軽井沢@長野県に企業の保養所なるものが多く建てられていることも、ほとんどよく判らなかった。
そもそも“思想”だとかイデオロギーだとかは、もっと学問を積んだのちに判ったものであるし、小学生の僕が知る保養所が建っているところというのは、たいがい湘南@神奈川県か房総@千葉県と相場が決まっていたからだ。

ただし、巨大な鉄球がクレーンで持ち上げられ、振り子運動によってあさま山荘の壁が突き破られる映像は、小学生の目にもたいへん衝撃的だった。
そして、一緒にTV中継を観ていた父が「こんな学生にはなるな」とポツリと言ったことを今でも憶えている。(ちなみにこのTV中継の最高視聴率は89.7%)。

小学生として「社会に反抗をする者たちの一つの敗北」をあさま山荘事件で何となく感じた僕もやがて高校生になり、そこで、NYC(ニューヨーク・シティ)とロンドンで起こったパンクロック・ムーヴメントを〜間接的にせよ〜体感した。

NYCのパンクが、主に既存のロックの主体的音楽性をズラす、あるいは斜に構えて相対化・内省化させるものであったのに対し、ロンドンのパンクは、NYCでもっともプリミティヴィズムであったラモーンズの直接的な音楽性をバネにしながら、そこに輪をかけて直接的な反社会的な歌うべきこと=歌詞を付帯させて楽曲にした。
SEX PISTOLSの「私は非キリスト教徒であり、無政府主義者である」だとか、ザ・クラッシュの「俺の(歩く)背後には警察がいる。振り向いたら撃たれるんだ」といったリリックは、衝撃を飛び越えて、沈思黙考せざるを得ない、何やら“人の社会を形成しているものの下に長いこと沈殿しているもの”が音楽を通して白日のもとにさらされた気がして、気が滅入ると同時に、ぎりぎりでポジティヴになれるようなものだった。

ひるがえって、反社会的イデオロギー革命闘争の一つの敗北を、小学生の段階で目の当たりにしてしまった僕は、「ロック・ミュージックは反社会的なものである」という定義が、やはり、どうしてもピンとこない=自身の中で根付いていないことを確認する。1970年代後期の日本において、ジョン・レノンが歌ったワーキング・クラス(労働者階級)はないばかりか、60年代からの高度経済成長期を経て、日本の総人口が1億人を突破したことに連動して“1億・総中流意識”が蔓延する。
「何が中流なのか?」という定義は全くない中で、気分としての中流意識が、まるで自分らを無検証肯定するように広がっていった。

自分にしても、そうである。「ロックが大好きだ」と言っていながら、家計のために新聞配達をするわけでもなく、レコード店にてアルバイトをして得たカネは、レコードのために費やされるのみである。「ロック研究費の捻出」と言えば、聞こえはいいが、食費も高校に通う交通費も全て親が出してくれる。 「そんなところにパンクは生まれないだろう」と考えるのが、正しい頭脳であろう。
そうした考え方に、同調してくれたのが、のちに取材をした氷室京介さんであった。

パンク・ロック楽曲の訳詞によく使われた2人称複数代名詞“ヤツら”とは、皇族でも教徒でも会社の上司でもなく、ゆるゆるとロック・ミュージックなるものにうつつを抜かしている僕らとその環境なのではないか? 三無主義だの四無主義だのと言われ、シラケることしかできなかった僕らの、唯一の熱さの砦はロック・ミュージックを真剣に演る、そして、それを評価することだけではないのか?