Nov 13, 2016 column

『人気者で行こう』は、今からでもグラミー賞に推薦したいほどのMasterpieceである。

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『人気者で行こう』(84年7月リリース)

シンセ類と生楽器のせめぎ合いが本格的に始まり、サザンならではの新バランスを獲得したアルバム。ひと言で表現するならば、そのようなアルバムになろうか? コンピュータ=マニピュレータとして藤井丈司がクレジットされ、貪欲なサザンの試行欲求が、すべての楽曲に注がれている。

かつて、松田弘は、こう発言した。

「個人的にこのアルバムの中では『JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)』とかが好きだね。自分たちなりの和モノ路線というか、洋楽と和モノの折衷を、俺たちはかっこ悪いものとしてとらえていないから。やっぱり、新しいものに関しては、従来の(楽曲への)取り組み方を変えてもいいんだって気持ちがあったと思う。自分たちのスタイルはこれだから、これを演ればみんなが喜んでくれるという意識はなかったんだよね。“今までとは違った意識”ということに、メンバーの意識が向いていた。でも、アルバムのバランスみたいなものは、崩れていないよね? そのへんは桑田が、あいつなりのバランスで作曲しているからだろうし、メンバーの顔を見ながら“こんな曲も演ろう、あんな曲も演ろう”と言ってくるのは、何らかのコンセプトがあるからなんだろうね」…と。
出典:TOKYO FM出版『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ 増補改訂版』(インタビュアー 佐伯明)より。

シンセのリフにシーケンスを走らせ、その上でギターがザ・ベンチャーズのようなフレーズを弾くユニークなインストゥルメンタル・ナンバー「なんば君の事務所」などには、確かに新種のサザンを感じさせる。
また、シングルとしてもヒットした「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」は、ライブ・コンサートにおいて、ある意味で“キメの曲”になった。
松田によれば、ライブにて「ミス・ブランニュー・デイ」の前後がたとえどんなタイプの曲でもこの曲に入ることができ、カウントを出さなくとも、メンバーの気持ちひとつで演れる楽曲なのだという。

その場合の、客席の反応も凄まじいことは何度も体験した。当時、シングル曲候補として、本作に収録されている「海」なども上がっていたが、もう少し派手な曲の方がいいのではないか? という意見も出て、「ミス・ブランニュー・デイ」に決まったという経緯がある。
ステージ上にてメンバーも一つになれ、客席もエネルギーを集結させられる曲、それが、色褪せない“心にチクリと痛いメッセージ”を含んだ「ミス・ブランニュー・デイ」であるなんて、なんと素晴らしいことか…と思う。

(付記)
1:本作のオープニングを飾る『JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)』のイントロに配されている“(大正)琴をサンプリングした”あるいは“琴の音色に近似させた”音は、おそらくは(YMOをアシストした)藤井丈司さんの助力によって成されたものだろうが、こうした近似音から、さらに明確な意志を持った“ミックス音”へと至る足跡は、私見では、本作後のサザンにとって大変に重要だと思われる。一種の“音の種明かし”のようなものが、本作後のサザン作品に含まれているからである。

2:「よどみ萎え、枯れて舞え」の、歌の出だしからキーが高い桑田佳祐さんのボーカルは、“夏の慕情の蜃気楼”を聴く者の心内に立ち起こすだろう。この“ハイキーの出だし”も、その後のサザンを示唆している気がする。

3:「あっという間の夢のTONIGHT」〜「シャボン」〜「海」へと進んでいく3曲は、“かさぶたになった青春”に引っかき傷をつけてしまい、その小さな痛みに寄り添うように書かれ・演奏されたであろう“未だ達観できない3曲”であり、尋常ならざる(乱反射する)歌に込められた愛着により、聴き手はどうにも、潮風にちぎれてしまいたくなる衝動と戦わねばならないだろう。
僕個人の記憶を記せば「気がついた時には、(相模湾に向かう)下りのJR東海道線に乗っていた」ことが、何度もある。
「海」にだけ関して言うなら、音楽分析を仕事にする僕としても「なにゆえ、“海”がこんなに好きなのだろう?」と、半ば職務放棄するような設問を自分に向けることもたびたびだ。

4:簡潔なキーボード・リフに8ビートを付帯させる「メリケン情緒は涙のカラー」のような“体裁”は、気分の昇圧系サザン楽曲として定着しつつあり、ドラムスのスネアに“ゲート・エコー(バチャン!というような音処理)”がかかっているように聞こえるのは、懐かしき80年代の形見と解すことができる。

サザンは、その時代の流行の音や音楽スタイルを貪欲に取り入れており、逆から言うなら“時代が特定できる”ことで、桑田さんは「反省することしきり」とかつて語ったが、僕は、そうは思わない。“あの時”が特定できることで、時代の特殊性が物語る、どの時代にも通じていく普遍・不変性を見つけることができるからである。
現在のように、半ば“時代に縛られる可能性が低い”音楽性では、逆説的に普遍性に迫れないかもしれないことを、表現者は、判っておく必要があるだろう。 そして本作は、すこぶるオーソドックスな4ビートアレンジの「Dear John」で幕を閉じるのであった。

 

関連サイト

 

サザンオールスターズ オフィシャルサイト

佐伯明

1960年 東京都国立市生まれ

中央大学文学部仏文科卒。17歳の頃から音楽雑誌に投稿をはじめ、以後、自称“音楽文化ライター”として現在に到る。

著書として「路傍の岩」(ソニー・マガジンズ)のほかに「らんまるのわがまま」(音楽専科社)、「音楽ライターになりたい」(ビクター・ブックス)「B’z ウルトラクロニクル」「ミラクルクロニクル」(ソニー・マガジンズ)などがあり、共著に「桑田佳祐 平成NG日記」(講談社)「徳永英明 半透明」(幻冬舎)「もういらない 吉田拓郎」(祥伝社)などがある。

独自の文体と鋭い音楽的視点は、リスナーから高く評価され、アーティストの間にも‘佐伯ファン’は少なくない。

現在、FM横浜にて「ロックページ〜ミュージック・プレゼンテーション」の構成を担当
https://twitter.com/RockPage_847

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佐伯明blog 音漬日記 参
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