『綺麗』(83年7月リリース)
私見ではそれまでの、どちらかと言えばアメリカン=US的なバンド志向を少しばかり顧(かえり)みたセンシティブなアルバムが『綺麗』だ。
リズム・ボックスを使ってみたり、ドラムスではシモンズ(UKの電子打楽器)を「かしの樹の下で」において試している。楽曲は、大陸歌謡のメロディを含みながら、シンセサイザーによる胡弓の音も付帯しつつのシモンズであるところが、サザンのセンスをよく表している。
加えて「かしの樹の下で」(ボーカルは、原由子&桑田佳祐)は、前作『NUDE MAN』に収録されていた「流れる雲を追いかけて」(ボーカルは、原由子)の延長線上にある“連作”とも受け取れる。
一方、『ALL STARS’ JUNGO』では、アフリカン・リズムにも挑戦しており、結果として、メンバー全員でリズム他を録音していたのはこのアルバムとなる。シンセサイザーを全面的に取り入れた初めての楽曲が「マチルダBABY」だったりもする。
1980年代のテクノロジーによる音楽制作現場の変革が、サザンにも訪れたのであろうし、それらに翻弄される前にまずは自分たちから変わっていこうとする前向きさが感じられる。
また、サキソフォン奏者の矢口博康をはじめとして、管楽器の充実ぶりも目を引く。今では“ハワイ通”として知られる関口和之が「南たいへいよ音頭」にて再びボーカルを取っているのも、個人的には嬉しい限り。
これまで、青春の熱量でいろいろなことを試してきたサザンが、本作を境に、頭脳と熱量を両輪にして走り始めていく証でもあろう。
大森隆志は、かつてこんなふうに発言している。
大森:大学の軽音楽部で演奏していた頃を思い出すと……やっぱりその時はエリック・クラプトンだとかの曲のコピーばかりを演っていた。だけど桑田(佳祐)と一緒に演りだしてからは、桑田がけっこうオリジナル曲を書いていたんで、それを演奏したりもした。当時(1970年代中頃)、他の人が書いてくる日本語のオリジナル曲っていうのは、取ってつけたような言葉で、何だかハマりの悪いものが多かった。でも、桑田がやろうとしていたのは、それらとはぜんぜん違ったからね。何を歌っているのかは判らないんだけど、(曲の途中で)時々、日本語が聞こえてくるから、日本語で歌っているんだろうなっていう(笑)。日本語か英語か判らなくても、自分のテイストに合う曲ってあるでしょう? 桑田の曲の、そんな部分に惚れたんだよね。
出典:TOKYO FM出版『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ 増補改訂版』(インタビュアー 佐伯明)より。
そうしたコンテクスト=脈絡で、本作ラストナンバーの「旅姿六人衆」を聴くと、何やら熱いものが胸にこみ上げてきはしまいか?
“喜びや夢ばかりじゃない ツライ思いさえ ひとりきりじゃ出来ぬことさ ここにいるのも”……「旅姿六人衆」より。
バンドに降り積もった時間を噛み締めながら、人知れず、サザンは次のフェイズ(段階)に突入するのである。
(付記)
表現行為における“自分らしさ”とは、果たしていかなるものだろうか? と思う。
僕の側に引き付けて考えてみるならば、仮に、自分の中にいかに「書きたい=表現したい」ことがあったとしても、それをアウトプットした際に、評価されるとは限らないし、現在的な表現動作としては「いいね!」が1つもつかないかもしれない。
そうした時に「自分が考える自分らしさ」は、完全否定されないまでもどこかに“ズレ”があったのだと、いったんは考えてみるのが賢明・柔軟だろう。
1980年代の前半に、僕は自ら好んでブルース・スプリングスティーンとRCサクセションの評論を書いていたのだけれども、記事に関して一種の“人気投票”がおこなわれる場合には、決まってスプリングスティーンの記事よりもRCのそれの方が得票数が多かった(当時のパイ=聴き手の多さとしては〜細かい時期にもよるが〜いちおう洋楽全盛だったにもかかわらず、だ)。
僕がスプリングスティーンにアジャスト=音楽に自己調節した記事よりもRCにアジャストした記事の方が、人気が高いという事実は、つまりは、アジャストしている僕自身が「実はスプリングスティーンよりもRCに近い自分」を持っていたのだろうし、僕の表現としての音楽評論に関して、スプリングスティーンの評論内容の方がRCのそれよりもどこか稚拙だったのだろう。
そのことを、判らしめてくれたのは他ならぬ読者諸氏だが、では、彼ら・彼女らが最も自分のことを判ってくれているのかと言えば、僕が自分のことを判っているようでいて判らないのと同じように、読者諸氏も“一時的ジャッジ”をしているに過ぎない。
だが、その一時的ジャッジの累積によって、仕事の評価やキャリアが決まってくることを看過(かんか)できはしないだろう。
そうやって、送り手と受け手のせめぎあいにより、自己表現は固まってくるのだと言える。
サザンが、「勝手にシンドバッド」と「いとしのエリー」を聴き手との最大公約数的なブリッジとなる“元手”にして、『タイニイ・バブルス』から『NUDE MAN』までを制作してきたことは、例え一過性のシングル楽曲の聴き手だとしても、ほぼ判るのではなかろうか?
では1stアルバム『熱い胸さわぎ』に収められていた「レゲエに首ったけ」が、本作においてアレンジ上はレゲエの高度な“ダブ表現”なども取り入れながらリリックではハーロット=売春婦のことを歌った「星降る夜のHARLOT」へと変容を遂げたことは、どう評価されるのか?
“彼の亡きがらに口づけをした日 街角で売りに出ていた”なるリリックは、それまでの聴き手との最大公約数的なブリッジに(依然として)なるのであろうか?
本作には「マチルダBABY」のように、その後、ライブでは終盤の感情の昇圧パートで記名的になる楽曲もあるにはあるが、「勝手にシンドバッド」や「いとしのエリー」に匹敵するヒット曲は、1曲も収められていない。逆から言えば、その部分にサザンの“底の見えない”魅力を感じる、と同時に、彼らは「次に行きたい」と思っていたのだろうな、と…今…気付くのである。