Oct 09, 2016 column

『タイニイ・バブルス』は“逆サイドから駆け上がる”メンバーに桑田佳祐が呼応した“バンド覚醒作”である。

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『タイニイ・バブルス』(80年3月リリース)

『タイニイ・バブルス』は“逆サイドから駆け上がる”メンバーに桑田佳祐が呼応した“バンド覚醒作”である。

ずいぶんと以前から、僕は「バンドは生き物だ」と書いてきた。
バンドは、指揮系統のはっきりした、あるミッションを成功に導く組織という側面ばかりではなく、バンド内でのメンバー間の切磋琢磨が、人間集合体としてのバンドの密度を高くも低くもするという不思議な、そして興味の尽きない側面を指して“生き物だ”と言ってきたわけだ。

“イメージとしての例え”としては、箱に整然と詰められたまんじゅうと〜可能かどうかは別にして〜圧搾空気の入った風船が箱に入れられている“絵”を頭の中に想起していただきたい。

「箱の中に6個入ったまんじゅう」を、行儀悪くも、1個半分ほど食べて箱に戻したとする。だがしかし、他の5個のまんじゅうが、食べられた半分を埋めようとしてそれぞれ1個分のまんじゅうの領域を拡げようとすることは、ほぼ間違いなく、ないだろう。

だが、圧搾空気が入った風船だったならば、どうだろうか? 1個の風船が何らかの要因で少しばかり“ひしゃげた”としよう。すると、他の5個の風船が、緊張関係を保ちながら、ひしゃげた風船の領域を埋めようとするに違いない。だが、箱の領域は決まっている。
この、箱の領域がバンドであり、緊張関係を保ちながら切磋琢磨するのが、バンド・メンバーたちなのである。“箱の領域が決まっている”というところが、僕がバンドに魅せられている最重要ポイントであることを、この場で白状しよう。

前フリが長くなってしまった(僕の悪い癖だ)。
サザンオールスターズに話を戻そう。

バンドのアルバムは、だいたい3枚で一区切りとなるのではというのは自説なのだが、このサザンのサードアルバムも例外ではないと思う。半年の充電期間を経て制作された粒ぞろいの楽曲が並ぶ充実作である。原由子、松田弘がボーカルをとる曲〜「私はピアノ」と「松田の子守唄」〜も収録されている。

具体的には’80年の1月から6ケ月間の充電期間にサザンは突入。つまりはレコーディングに専念するということで、2月から<Five Rock Show>と銘打ってシングル5枚と3rdアルバム『タイニイ・バブルス』を発表(80年3月)。ブラウン管=TVのバンドという印象から切り換えを図る。

『タイニイ・バブルス』の頃を振り返って、かつて原は、こんなふうに語った。

「“私はピアノ”を初めて自分で歌って、それが自分自身の大きな転機になりました。すごく忙しい時期から充電時期に入る辺りで、「働けロックバンド(Workin’ for T.V.)なんて曲が、アルバムのラストを飾っている。けっこう、メッセージしているというか、こんなはずじゃなかったみたいな感じが、メンバーの中に芽生えてきたんですよね。それまでの体制に対する反抗心であるとか、疑問を感じはじめた頃です」と。

このアルバムに収録されている「C調言葉に御用心」(シングルとしてもリリース)まで、サザンが出ていく基本メディアはTVであり、TVでのリハーサルなどに多くの時間を割かれていた彼らは、真夜中にレコーディング・スタジオに入って、短い時間の中で自分たちの音楽を追求していた。

が、本作からメディアの露出を極力抑え、じっくりレコーディングして最初にシングルとして世に発表したのが「涙のアベニュー」であった。

「涙のアベニュー」に続くシングルがアルバムにも収録された「恋するマンスリーデイ」である。当時、女性の生理を歌にするなど誰もやらないがゆえに、タブー視されていたのに、桑田佳祐はあっさりと乗り越えてしまった。もしも桑田が、歌わなかったとしたら、ヒット曲になりえなかったとも思う。当の原は「私にもあまり抵抗はありませんでした。なんというか思いやりみたいなものも感じました」と語った。この、押し付けがましくないフェミニンなテイストもサザン特有のものだと記しておこう。

さて、アルバムの方は、オープニングの「ふたりだけのパーティ〜Tiny Bubbles(type-A)」から「タバコ・ロードにセクシーばあちゃん」、「Hey! Ryudo!(ヘイ・リュード!)」に致るアーシーさとPOP感覚の溶け込ませ具合は見事である。「ふたりだけのパーティ」で出てくるバブル音=ブクブクは、実際にスタジオにコップとストローを持ち込んで録音したものであるが、ザ・ビートルズの「イエロー・サブマリン」におけるレコーディング現場を彷彿とさせる微笑ましい話だ。
原は「私はピアノ」でボーカルにおいて開眼したが、松田が歌う「松田の子守唄」も、ハイ・キーのボーカルがとても印象的な楽曲。

本作まで「勝手にシンドバッド」や「いとしのエリー」を引き合いに出すまでもなく、桑田佳祐が詞曲を書き歌うことにより、バンドのカラーを打ち出し、牽引してきたわけだ。しかしながら、原や松田が歌うことがサッカーで言えばマークしていなかったメンバーが逆サイドから駆け上がり、クロスを上げることに匹敵し、結果、桑田に掛かる“荷”が軽減され、バンドに新たな魅力が備わったと断言できる。
初期サザン、ここに極まれり、である。

加えて’81年は、初の原由子ソロ作品『はらゆうこが語るひととき』がリリースされた。そして、シングル「I LOVE YOU はひとりごと」が、歌詞がワイセツだという理由で放送禁止になったことに抗議するために、5月10日、(当時は原宿にあった)サザンの所属するレコード会社:ビクター屋上にて昼中突然のライブを敢行。
基本的には原を除くメンバー全員が女装で、ライブが終わったあとの逃げ場所を誰も考えていなかったため、(女装を利用して)ビルの美容室に逃げ込んだという笑い話も残っている。

さらに付け加えるならば、『タイニイ・バブルス』でサザンは、バンド初のオリコン・アルバムチャート第1位を獲得した。

(付記)
原さんや松田さんがボーカルを取る楽曲を、桑田さんが書いているという構図がバンドらしくて大好きであるが、Five Rock Showの第1弾シングルとなった「涙のアベニュー」は、個人的にフェイバリット・ソングであると同時に、桑田さんのソング・ライティング能力に舌を巻く。

僕としては、「涙のアベニュー」の歌詞内主人公が男性なのか女性なのか長いこと判然としなかった。が、(私事ながら)この2年半、FM横浜にて番組構成を担当し、いわゆるコンサートの流れではないところで、伊勢佐木町や野毛町で酒を飲んでいると「ああ、桑田さんは、個人的感情の機微を歌詞にしたのではなく、街往く男女をどこか俯瞰で観察し、男女どちらにも通じていくかもしれない気持ちを掬(すく)い取ったのだな」と思えるようになった。
そう思ったら、「涙のアベニュー」の真価がわかったような気がした。

横浜の一角にて、柳がかすかに揺れる川端を歩いていると、この曲の“薄くゆっくりと入ってくるストリングス”が、肌に染みる。

 

関連サイト

 

サザンオールスターズ オフィシャルサイト

佐伯明

1960年 東京都国立市生まれ

中央大学文学部仏文科卒。17歳の頃から音楽雑誌に投稿をはじめ、以後、自称“音楽文化ライター”として現在に到る。

著書として「路傍の岩」(ソニー・マガジンズ)のほかに「らんまるのわがまま」(音楽専科社)、「音楽ライターになりたい」(ビクター・ブックス)「B’z ウルトラクロニクル」「ミラクルクロニクル」(ソニー・マガジンズ)などがあり、共著に「桑田佳祐 平成NG日記」(講談社)「徳永英明 半透明」(幻冬舎)「もういらない 吉田拓郎」(祥伝社)などがある。

独自の文体と鋭い音楽的視点は、リスナーから高く評価され、アーティストの間にも‘佐伯ファン’は少なくない。

現在、FM横浜にて「ロックページ〜ミュージック・プレゼンテーション」の構成を担当
https://twitter.com/RockPage_847

https://www.facebook.com/fmy.rockpage?ref=profile

佐伯明blog 音漬日記 参
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