Apr 12, 2024 column

『プリシラ』 無邪気さの喪失、自分の中の少女が死ぬことを拒むプリシラ

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オールウェイズ・ラヴ・ユー

プリシラとエルヴィスは西ドイツで最初に会ったときからの2年の間、一度も会っていない。また映画の撮影等でエルヴィスがグレイスランドを留守にする時間がある。その間プリシラは1人の時間を多く過ごしている。プリシラはエルヴィスの婚約者としてエルヴィスの好きなファッションやメイクを研究する。プリシラはエルヴィスの人形のように始まり、徐々に自分を“ステージング”していく。

14歳のときのプリシラから始まった10歳年上のエルヴィスとの関係について、それをグルーミングだと批判する声は多い。プリシラ自身は今日に至るまでエルヴィスによるグルーミングを否定している。ソフィア・コッポラはプリシラやエルヴィスの選択をジャッジしていない。しかしエルヴィス財団が『プリシラ』への楽曲の提供を拒否した一件が象徴的なように、本作のエルヴィス像は不安定で人を振り回す、闇の深い人物として描かれている。しかし同時に、エルヴィスはプリシラの両親を説得するような誠実さと明るさを持ち合わせている。一人の人間の中にもいろいろな顔がある。

両親としては、エルヴィスがうぬぼれたクソ野郎だったらどれほど安心できたことだろう。それは娘を渡さない充分な口実になるからだ。直接会いに来たエルヴィスの態度が誠実だったおかげで、両親はプリシラを止めることができなかった。娘に一生を後悔させてしまうようなことはしたくなかったのだ。両親の複雑な決断は原作でもプリシラ自身が述懐している。しかしエルヴィスの強迫観念とプリシラによる自分の発見により、2人の関係は終わりへ向かっていく。ここには痛切な無邪気さの喪失がある。

ソフィア・コッポラは自身もティーンの娘を持つ母親であることが、本作を撮る大きな手助けになったという。本作は原作の息遣いやプリシラの少女の視線をどこまでも尊重している。エルヴィスが結婚するまで性行為を拒否したのは、プリシラへの精神的な支配とも受け取れる。フィリップ・ル・スールの手掛けた本作の光と闇を生かした見事な撮影と同じように両義的なのだ。それでもプリシラは、エルヴィスがあの頃の自分のすべてだったと今日に至るまで思いを変えていない。ソフィア・コッポラはプリシラの特異な経験と愛にリスペクトを送り、本作を彼女へのラブレターのような映画に仕上げている。少なくとも私はあなたの経験したことを愛していると。

生前のエルヴィスがレコーディングを望んだドリー・パートンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が響き渡る。この曲はプリシラのエルヴィスへの愛に捧げられているだけなく、プリシラが傷だらけで駆け抜けた少女時代そのものへ捧げられているのだろう。自分の中の少女が死んでしまうのを拒否することと、少女時代にさよならを告げることは決して矛盾することではないのだ。

文 / 宮代大嗣

作品情報
映画『プリシラ』

14歳のプリシラは、世界が憧れるスーパースターと出会い、恋に落ちる。彼の特別になるという夢のような現実。やがて彼女は両親の反対を押し切って、大邸宅で一緒に暮らし始める。魅惑的な別世界に足を踏み入れたプリシラにとって、彼の色に染まり、そばにいることが彼女のすべてだったが‥‥。

監督・脚本:ソフィア・コッポラ

出演:ケイリー・スピーニー、ジェイコブ・エロルディ

配給:ギャガ    

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公開中

公式サイト gaga.ne.jp/priscilla/