2つの危機
プリシラとエルヴィスが出会ったのは、2人のそれぞれの人生における谷間ともいえる期間だった。プリシラは実の父親だと思っていた人物が継父であることを知る。海軍のパイロットだった父親は、プリシラが生後6か月の時に事故で亡くなっている。プリシラには残された写真に写るハンサムな父親への憧れがあった。プリシラは10歳年上のエルヴィスに父親のイメージを投影していたのかもしれない。またプリシラは自分の容姿が男子生徒たちの視線を浴びていることを自覚していたが、自分のセクシュアリティに対する恥じらいがあった。プリシラの述懐によると、成長期における身体の変化への不安を抱えていたという。
アメリカ陸軍への徴兵期間にあったエルヴィスもまた複雑な状況にあった。誰よりも愛していた母親を亡くしたばかりのエルヴィス。徴兵期間の内に、これまで築き上げた人気を失ってしまうのではないかという不安(プリシラによると、すべてを失ってしまうのではないかという不安は強迫観念のようにエルヴィスを苦しめたという)。マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンのような映画俳優になりたいのになれていないというジレンマ。西ドイツの地でエルヴィスはプリシラに不安を吐露する。
世代の異なる2人の“危機”が交錯する。ソフィア・コッポラはこのテーマを『ロスト・イン・トランスレーション』においても描いている。スカーレット・ヨハンソン演じるシャーロットが抱える大人になることへの不安とビル・マーレイ演じるボブの中年の危機。恋愛関係には至らないシャーロットとボブ。かつてソフィア・コッポラは、2人の関係について、「未来がないかもしれないということが魅力になっている」と語っている。
出会ったばかりのプリシラとエルヴィスの関係にはほとんど未来がないように見える。そしてプリシラは慎重だ。エルヴィスの知り合いだと名乗る軍人からパーティーへの誘いを受けるときのプリシラは、突然のことに戸惑いながらも一呼吸の間を置いて返答する。両親の許可が必要だと。このときのプリシラの反応が素晴らしい。
パーティーに出向いてからもエルヴィスに子供扱いされるプリシラ。エルヴィスや彼の取り巻き、そして両親に子供として扱われる悔しさが、プリシラの気持ちに火を点けていく感覚は理解できる。大人たちのパーティーで完全に置いてきぼりをくらうプリシラ。パブリックイメージの“エルヴィス・プレスリー”を演じるエルヴィス。ご機嫌なエルヴィスはピアノの弾き語りを披露する。大人たちのパーティーの片隅で憧れと不安が入り混じった、背伸びをしきれないプリシラの姿をカメラは捉える。
西ドイツでプリシラはパブリックイメージの“エルヴィス・プレスリー”を演じていない本当のエルヴィスの姿を発見することになる。エルヴィスを演じるジェイコブ・エロルディは、カリスマ性やセクシーさを持ち合わせながら、プリシラの前では弱々しさや不安定さを隠さない人物を見事に演じている。本作に描かれているエルヴィスは、オーディエンスから見えるエルヴィスではなく、あくまでプリシラという少女の視点から見えるエルヴィスだ。エルヴィスは部屋にいるほとんどのシーンで文字通り影を纏っている。この影はエルヴィスという複雑な人間の影であるだけでなく、プリシラの不安や恐怖を表わしているといえる。