Nov 02, 2023 column

「PLUTO」アトムの童がつなげる未来へのメッセージ

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手塚版「史上最大のロボット」と浦沢版「PLUTO」の違い

手塚眞の提案によって「地上最大のロボット」のただの焼き直しではなく、警官ロボット・ゲジヒトを主人公とした「MONSTER」「20世紀少年」などに見られる、登場人物が謎を追ううちに記憶が蘇り責任の一端があったと気づく浦沢サスペンスと仕上がった「PLUTO」。

「描くとき命がけだったしんどい作品」という浦沢直樹は、「若い世代の方には想像しづらいかもしれませんが、『鉄腕アトム』というのは、ひとつの漫画とかアニメとかいう次元ではなく、僕らにとってはとんでもなく大きな存在」と語り、「地上最大のロボット」についてこう答えている。

「5才の頃に初めて原作を読んで、その時に心の中で全漫画の中で中央に鎮座するイメージがありました。幼いながらも なんという切ない話なんだろうと思いました。その得体の知れない切なさみたいなものを一生かかって突き止めていくような感じがしております」

そもそもアトムは、悲哀を持って誕生する。
科学省長官だった天馬博士は、交通事故で失った愛する息子・飛雄の身代わりに人間とほぼ同等の感情と様々な能力を持つ優秀なロボット・トビオを開発した。しかし、ロボットは人間のように成長しないことがわかると、サーカスに売り飛ばされてしまう。トビオはサーカス団長にアトムと名付けられ、後にお茶の水博士に引き取られることになる。

ここで原作である「地上最大のロボット」について触れておきたい。 

東京五輪に沸く1964年、「地上最大のロボットの巻」(原題は史上最大のロボットの巻)は、雑誌「少年」の昭和39年6月号〜40年1月号にかけて連載されていた。

国を追われたアラブの王様は、お抱えのアブーラ博士に命じ、二本角を持つ百万馬力の巨大ロボット・プルートウを完成させる。王様は支配欲を満たすため、プルートウに世界各地にいる最高のロボット7人(日本のアトム、スイスのモンブラン、スコットランドのノース2号、トルコのブランド、ドイツのゲジヒト、ギリシャのヘラクレス、オーストラリアのエプシロン)を倒し、地上最強のロボットであることを証明するよう命じる。

プルートウは、アトムやウランに情をかけることもあったが、王様の命令を守り、同族のロボットたちを無慈悲に破壊していく。アトムはお茶の水博士の制止を振り切り、天馬博士に頼んで、十万馬力から百万馬力にパワーアップしてもらう。アトムとの対決のなか、プルートウの中に良心が芽生え、阿蘇山の噴火を協力して食い止めるが、ゴジ博士が造ったさらに強力な二百万馬力のロボット・ボラーが、アトムとプルートウの前に立ちはだかる。傷ついたプルートウはボラーを巻き込んで自爆する。

実は、プルートウを造ったアブーラ博士と、ボラーを造ったゴジ博士は同一人物。その正体は、王様の召使ロボットだった。彼は、世界一のロボットの使われ方を憂い、プルートウを倒すためにボラーを造ったのだった。

権力に溺れた者の愚かさ、力を追い求めることの無意味さ、憎しみのない相手と戦う空しさ、ロボットへの差別意識、そして彼らが人間を超えるシンギュラリティを約60年前に手塚治虫は少年誌で描いていた。

原作と「PLUTO」には先に述べた主人公の違いのほか、ロボットの倒される順番や、アトムとプルートウの関わり方、人間も殺されるなど、違いは多々ある。1963年から日本初の国産テレビアニメシリーズとして放送された「鉄腕アトム」においてもそれは同じだ。

前後編と分かれて放送された1963年のアニメ版「史上最大のロボットの巻」では、最終決戦時、オーストラリアのロボット・エプシロンとアトムが共闘し、戦いは虚しいとゴジ博士が直接的な言葉で王様に改心を促す。1980年のアニメ版においては、ボラーの造形が当時の流行を考えてか、全く異なるものになっている。しかしながら、原作マンガ、アニメ、「PLUTO」すべての根底には、戦うこと・戦争への批判といったメッセージが込められている。

差異がありつつも「PLUTO」には、「赤いネコの巻」の猛獣のエピソードや、民族の復讐のために作られたロボットとの戦いの末、溶岩流を凍らせた「アトラスの巻」、ロボット法を破り人間に復讐をする「青騎士の巻」などアトム各話にとどまらず、「火の鳥 未来編」「ブラックジャック」など手塚治虫作品全体からの引用を散りばめている。

手塚版のマンガ、虫プロによるアニメ版を見返してみると、ストーリー構成、キャラクターデザインに対し最大限のリスペクトを払いつつも、浦沢直樹版としてオリジナリティを生むの想像力と構成力に驚嘆する。手塚版を見ていない方は、これを機にぜひ鑑賞していただきたい。