Apr 18, 2020 column

不安でおぼれそうな今の向こう、そこにある新しい時代がくる前に

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もちろんネットを見ればそこには音楽があるし、ソフトや配信でいくつもの映画やアニメ作品は目にすることが出来る。ゲームだって出来るし、通販で本もプラモも買うことは出来る。それは救いだが、ただやはり足を運び体験をするリアルな場がここまで無くなることはかなり異様な光景で衝撃だ。ある日、大手シネコンからミニシアターまで各映画館のサイトの上映スケジュールが全部消えているのを眺めていたら涙が出そうになってきた。休業中なので当然ではあるのだが、2月頃の「行きたい・がまんする」とこちら側に選択権がある時と異なり「そもそも、どこの映画館でも映画が上映されていない」が見せつけられることは精神的にこたえた。

通常の生活行動も含め影響を全く受けていない人はおそらくいないだろうが、商業活動においては「休業がそのまま事業継続の終わりになりかねない」ケースがあまりにも多いことも問題だ。ニュース番組では主に街の小売店や飲食店がクローズアップされているが、アニメ・TV・映画・音楽をはじめとしたいわゆるコンテンツビジネスの制作現場や興行においてもこれは深刻だ。その多くが中小以下の事業者で、さらにはフリーランスも多い。制作・公演が無くなる・延期となることは、即「収入が絶たれる」事に繋がる。公的な補償もだが、ファンレベルでも何かの手助けができることがないかを多くの人が模索している。

全てにおいてこの先がどうなるのかが全く見えず、不安と心配にさいなまされる。それが余計に気を滅入らせる。

暗いことばかりを考えても仕方が無い。少し先のことを考えよう。現実逃避だ。
騒動の中でこれからの数年間は“コロナ以前/以後”で世界のあらゆる仕組みも価値観も大きく変わっていくと想像している。もっとも身近な文化であるサブカルチャーやコンテンツ産業ではこれは顕著だ。

仕組みで言えばこの騒動の中、テレワークの増加で自宅で過ごす時間が増えた人も多い。テレワーカーでなくとも生活そのものが変化した人は多いだろう。こういう機会にネット配信でこれまで見ていなかった古い名作などに初めて接したという人もいる。これまで読まなかったジャンルの本に接する人もいる。暇つぶしのために初めてプラモに手を出した人の話も聞く。閉塞したからこそ新しい出会いや経験があるというのは不思議なことだ。

新しいことも生まれつつある。例えばこの状況でも多くのアーティストが発表しているコラボレーション動画の活動などを目にしていると、むしろ僕はこの状況がこれまでに無かった新しい物を生み出していくのではないかとも期待している。疫病は人々を分断すると言われるが、ペストやスペイン風邪が大流行した時代と大きく異なり今はネットがあり、分断が新たな結びつきを生み出している。