Feb 08, 2019 column

何に「負けない」と戦ってきたのか?『プリキュア』の通底するテーマに大人が教えられること。

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『プリキュア』の姿勢もテーマも一貫して何も変わってはいなかったのではないか。なのに何がそうも「変わった」と感じたのだろう。

『プリキュア』は別にフェミニズムを意識し主張する作品ではないし「社会性ありき」でもない。「まず子供が楽しめる作品であること」を意識し続けている。『はぐプリ』でも同様だ。 しかし、この「子供が楽しめる作品であること」を意識していくことは社会性や時代性を無視できない。自分のことになるが、かつて児童向け人形劇番組の脚本を書いていたとき、やはりこのことに直面した。避けることが出来ない課題だった。時代に沿い、今の受け手が求める物語にしていく時に、入れるつもりはなくとも生じてしまうものが社会性や時代性だ。基本は変化をしていない『プリキュア』にもかかわらず、視聴者が『はぐプリ』からは強く感じたものこそがその生じた“今”の社会性や時代性だ。僕らは『プリキュア』を通して社会と時代の一面に直面することになった。

『はぐプリ』で話題となったメッセージやテーマは、『アナと雪の女王』を思い出す人もいるだろう。お姫様(女性)が選べる生き方は“恋愛”だけではないことを示した。今冬に公開されヒットした『シュガー・ラッシュ:オンライン』はさらにその先を行き、“こうでなくてはならない”から“こうありたい”を描いた。『ズートピア』は多様性と社会の壁を童話的な比喩で描いた。いずれも時代が生んだ作品だ。

海外作品ばかりではない。日本でも97年に放送されたTVアニメ『少女革命ウテナ』で、女の子たちを支配する“お姫様と王子様”という固定観念からの解放と、その解放こそが自己意識の革命であることが描かれていた。その『ウテナ』からの20数年。『プリキュア』開始からの15年間で変わってきたものがあるとすれば、それはやはり社会や時代といったものだろう。いや、変えなければならなかったことに気づかせてくれたのかもしれない。

「ヒーロー番組は教育番組」とは、かつて『仮面ライダーV3』をはじめ幾多の特撮ヒーローを演じた俳優・宮内洋氏の名言だが、『プリキュア』をはじめとした女の子向けのヒーロー(ヒロイン)番組であっても同様だ。

教育番組であるなら変化した社会や時代の中で何を伝えるのか?何を訴えていくことが大切か?子供たちがすでにハッキリとわかっていることをわざわざ伝える意味はあまりない。つまり伝えなくてはならない社会や時代の課題は、「子供が感じているかもしれないが正体がわからないもの」であるとか「見失ってはいけないもの」であるとかだ。子供向けの娯楽性の中で、それをほんのちょっと教えること。それがこういった番組の背負っているものになる。

女の子、男の子であるというだけで感じる生きづらさ。「こうでなくてはならない」という社会に蔓延する目に見えない何かが決めてしまった束縛。自分らしくありたいと思うことが否定されてしまう多様への不寛容。自分の未来を考えるとはどういうことか。それらは大人に向けたテーマだったのではなく、現在すでに子供たちの中にジワジワと燻っている疑問でありストレスに作り手が真正面から向き合ったことなのだろう。かつて『おジャ魔女どれみ』シリーズが楽しい子供向けという作品の中で、子供たちの抱える悩みなどに真っ正面から向き合ったのと同じ姿勢だ。

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