3月13日(日) NHK、民放(テレ東以外)はラテ欄も全て終日報道特番。テレビ東京、MX、TVK、チバテレビ、テレ玉は通常編成。ラテ欄を見ると朝刊の時点では日本テレビは18時の『バンキシャ』から通常編成に戻るつもりだった模様だ。フジテレビも21時のドラマ『スクール!!』(第9話)の放送が掲載されている。(実際はどちらも戻らず)
3月14日(月) 日本テレビ、TBS、テレビ朝日は報道番組の時間が拡大されているものの、通常番組も多くが戻って記載されている。が、夕刊では再び報道特番一色になっており、かなりの混乱が伺える。
3月15日(火) 民放各局、19時から通常編成番組の記載。ただし、地震特番への差し替えも多い。
3月16日(水) ラテ欄を見る限りでは、この日から民放は各局ともほぼ通常編成に戻った模様。とはいっても多くの人が覚えているように画面は災害の情報を伝えるサイドバーが表示されているL字画面であったので、本当の意味での通常復帰ではない。残念ながらラテ欄からはL字画面がいつまで続いていたのかまではわからなかった。
正直、ここまで自分の記憶がズレていると思わなかった。もっと長い間、1週間以上は全日報道一色の状況が続いていたような気がしていたのだが、実際には(少なくともラテ欄から読む限りでは)約5日間だったのだ。とはいってもL字も含め報道体制は続いており、当時あるTV局の報道にいた知人によれば「家に帰れたのは8日目だった」とのことで、当然ながらラテ欄からだけでは見ないことがあまりにも多いことも承知ではある。
アニメ番組放送を中心に見てみたのは単純な理由だ。自分がよく見ている番組、好きなジャンルの番組。そしてもちろん「あの作品は好きだった」というものは、記憶を掘り起こす“鍵”としての役割もとてつもなく大きい。その鍵を使ってわかったのは、「当事者ではない人の記憶は案外と強固ではない」ということだ。
アニメにそれほど興味がないという人の中には「たかがアニメ」と思われるかもしれない。アニメ番組より震災報道の方が重要だと思われる人も多いだろう。それはもちろんそうだ。が、「面倒で重たいことをわざわざ考える人だな」と思われるかもしれないが、僕が震災後に何度か考えてしまったことに、「喪われてしまった人の中にはもちろんアニメファンもいたのだろうな」というのがあった。僕の世代のアニメファンだとネットなどまだ無かった時代に何かの拍子やきっかけで同好の士と出会う経験をしてきた。だからどうしても、もしかしたら何かの作品が縁となり、自分とどこかで交流の機会があったり出会っていた人たちがいたのかもしれないということを想像してしまった。実際、かつてアニメが縁で出会った友人が岩手県沿岸に住んでいて被災したので、よけいに考えてしまった。こういう面倒で重たいことをわざわざ考えてしまう性格なので、どうしても当時のアニメ放送は気になったのだ。
一方で、その「たかがアニメ」は、辛いときに何かを進めるための役割を担ったりすることもある。アニメに限らずサブカルチャーや大衆文化と呼ばれるものの最大の力であり価値の1つだ。娯楽番組の放送復帰へ批難を向けた人らもいたが、アニメやバラエティ番組が無かったなら、おそらく多くの人が絶望感や不安感の中に長く居続けることになったかもしれない。報道ほど重要ではないが、しかしそれもまたTVの役割だろう。