Mar 25, 2022 column

『ナイトメア・アリー』でも描かれた ギレルモ・デル・トロによる“怪物”の創り方

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呪いからの解放

『ナイトメア・アリー』でデル・トロは、ウィリアム・リンゼイ・グレシャムによる原作とオリジナルの『悪魔の往く町』(47)に、探偵のように迫っていく。作者自身を考察することは、原作やオリジナル作品を考察することと同じくらい重要なことなのだろう。

オリジナルの『悪魔の往く町』は、アカデミー作品賞を受賞した『グランド・ホテル』(33)で知られるエドマンド・グールディングが監督を務めている。当初、制作に難色を示していた20世紀フォックスに対して、スタントン役に惚れ込んだ人気俳優タイロン・パワーが、プロデューサー(ダリル・F・ザナック)の説得に回る。撮影中には、カーニバル・テントでイベントが開かれている。しかし、タイロン・パワーほどの大物俳優がペテン師を演じる姿を間近で見たザナックは、いたたまれない気持ちになり、映画のラストを救いのあるものに変更させてしまう。

ラストを変更させたにも関わらず、スタジオ側は本作のマーケティングに力を入れず、興行的に失敗の烙印が押されてしまう。グールディングの映画作家としてのキャリアは急速に傷つき、リリス役を務めたヘレン・ウォーカーは、本作の撮影前に起きた自動車事故で同乗者(若い兵士のヒッチハイカー)の一人を失い、期待されていたキャリアに大きな傷がついてしまう。『悪魔が往く町』はソフト化されることもなく、長い長い年月を経て「呪われた作品」として愛されていった作品なのだ。原作者のグレシャムは、心身の健康を崩し、1962年にホテルの一室で自ら命を絶っている。グレシャムの胸ポケットには、『悪魔の往く町』を想起させる、次の言葉が記された名刺が入っていたという。

「真実を直視するなら死んだ方がましだ」

デル・トロは、グレシャムの小説を「魂の自伝」として捉え、霊媒師スタントンという「怪物」が創造されていく過程そのものをじっくりと抽出していく。鶏の首を食いちぎるギーク=獣人に恐怖を覚えつつ強烈に惹かれるスタントン。ステージで読心術を披露するジーナ(トニ・コレット)の「演舞」に少年のように目を輝かせるスタントン。しかし、彼は読心術そのものよりも、人前で「演技」をすることに強く惹かれているように見える。鶏の首を食いちぎるギークは、本能に導かれた行為ではなく、テントに集まった客が望む「演技」の結果としてある。ギークの叫びには、求められた役割を演じなければならない悔しさ、悲しみが先行している。そして、それこそが本作の大きなテーマとなっている。