Dec 18, 2021 column

60年代映画へのオマージュが散りばめられた『ラストナイト・イン・ソーホー』で音楽と共に描く、女性たちの生きる道

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ところで、彼女は見えないものを見ることが出来る。幼き日に自殺した母が今も現れるのだ。そうした感受性豊かな性格のせいか、新居の第一夜、彼女は不思議な夢を見る。薄暗い通りを抜けて表通りに出たとき、そこは同じソーホーだったが、現代ではなかった。なにせ目の間にそびえる巨大な看板が、ショーン・コネリーがジェームズ・ボンドを演じたシリーズ第4作『007/サンダーボール作戦』(1965)なのである。この看板1枚で、夢の中の世界が1965年であることを瞬時に理解させてしまう。本作で最も胸がときめく瞬間である。

もっとも、エドガー・ライトは編集段階でこの看板を、デジタル処理で別の映画に差し替える作業を進めていた。それは『ミクロの決死圏』(1966)だった。縮小された人々が人体に潜入する奇想天外な物語の原題は”Fantastic Voyage“。現代から60年代へと細い路地を通って旅する『ラストナイト・イン・ソーホー』は、まさに『ミクロの決死圏』さながらの〈幻想的航海〉であり、それを象徴する看板は、007よりも、この映画だというわけだ。

ところが、ちょっとした問題があった。『ミクロの決死圏』の公開は1966年なのである。この1年のずれは、細部にわたって1965年を再現していた本作にとっては問題をはらむ可能性があった。さらに予告編を観た友人のタランティーノは、『サンダーボール作戦』の看板が大写しになるカットを絶賛した。こうなっては、映画の解釈に意味づけできる『ミクロの決死圏』よりも、高揚感たっぷりの『サンダーボール作戦』へエドガー・ライトも戻さざるを得なくなったというわけだ。まあ、ミズ・コリンズを演じたダイアナ・リグが、シリーズ6作目の『女王陛下の007』(1969)でボンドが結婚した唯一の特権的ボンド・ガールだったことを思えば、ここはやっぱり007でしょう。

こうしてディテールの楽しさを味わううちに、エロイーズはクラブ「カフェ・ド・パリ」へ足を踏み入れ、歌手志望のサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)と一体化する。鏡を用いたアナログな技法で2人が1つに重なっていくのが素晴らしい。VFXを用いれば派手な表現が可能だが、ライトはアナログで可能なカットは極力、装飾過多にならないように抑制している。

夜ごとに夢の世界で憧れの60年代へタイムスリップして、自分とは全く違う性格のサンディと一体化するうちに、現実の世界でも、エロイーズはサンディと同じ髪の色に染め、同じコートを古着屋で見つけて羽織ることで前向きな性格になる。

60年代映画へのオマージュが散りばめられた『ラストナイト・イン・ソーホー』で音楽と共に描く、女性たちの生きる道
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