Dec 18, 2021 column

60年代映画へのオマージュが散りばめられた『ラストナイト・イン・ソーホー』で音楽と共に描く、女性たちの生きる道

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1990年代半ば、世界的に60年代リバイバルが盛り上がった。ファッション、音楽、映画でも60年代をフィーチャーした作品が登場し、日本のミニシアターでは『ナック』(1965)、『欲望』(1966)、『007/カジノ・ロワイヤル』(1967)等々の60年代映画が次々と再上映されていた。再評価や発見などというものではない。90年代の同時代視点から、音楽や衣装、モノクロの映像美などの切り口で、つまりは映画をテーマや解釈から解放して表層的に愉しもうという試みである。これには毀誉褒貶があったが、従来の映画ファン以外の観客層を開拓した。実際、こうした映画を上映する映画館へ足を運ぶと、60年代ファッションに身をつつんだ観客も少なくなかった。

一方、90年代に登場した映画監督たちは、やがて60年代へ特別な思いをこめた作品を残すようになる。例えば、クエンティン・タランティーノ(92年デビュー)は、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)で1969年の衰退するハリウッドを細部にわたって再現してみせたし、クリストファー・ノーラン(98年デビュー)は、まるで60年代のスパイ映画のようなテイストで、VFXを極力用いずに『TENET テネット』(2020)を撮ってみせた。

彼らとは一回り以上若いエドガー・ライト(95年デビュー)もまた、60年代に一方ならぬ思い入れを持ち、『ラストナイト・イン・ソーホー』で1965年のロンドンを、とてつもなく魅力的な映画的手法で再現し、映画とは夢そのものであるということを立証してみせた。

冒頭、廊下の奥の部屋から、ピーター・ゴードンの『愛なき世界』のレコードをかけて踊る主人公のエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)がチラっと見えただけで、誰もが瞬時にこの映画に引き込まれてしまうだろう。ライトの前作『ベイビー・ドライバー』(2017)の冒頭と同じく、今回も音楽を活用して、たちまちのうちに観客を惹きつけてしまうのだ。

エロイーズの部屋は、『ティファニーで朝食を』(1961) のポスターが貼ってあり、黒のジバンシィをまとった高級娼婦役のオードリー・ヘップバーンと同じポーズを取ったエロイーズが、オードリーの口調を真似しながら、仕草もそっくりに動くだけで、この映画のスタイル――60sにどっぷりつかった女子の物語であることが理解できる。なお、トーマシン・マッケンジーはオードリーのファンで、『麗しのサブリナ』(1954)、『パリの恋人』(1957)、『マイ・フェア・レディ』(1964)などを観て育ったというが、実際、彼女はオードリーに似たものを感じさせる。

もっとも、90年代には多くいた若い世代の60sマニアが、現代では稀少な存在であることは、エロイーズが今どき珍しい懐古趣味の若者として扱われることからも、作り手はよく自覚している。現在を舞台に60sに憧れるヒロインの物語を作るのはハードルが上がってしまうが、ライトは前述の音楽やポスター以外でも、周到に彼女を60sに誘う準備を怠らない。

たとえば、エロイーズの祖母を演じるリタ・トゥシンハムは、トニー・リチャードソン監督の『蜜の味』(1961)でデザイン学校の学生とカケオチする18歳の娘を演じ、続いてリチャード・レスター監督のスラップスティック・コメディ『ナック』でも田舎からロンドンに出てきた娘を演じていたのだから、彼女に田舎の家から送り出されたエロイーズが60年代のロンドンを垣間見るのは必然でもあるのだ。

さて、ロンドンのソーホー地区で、服飾学校に入学したエロイーズは、同世代とは話が合わず、部屋に男を連れ込むルームメイトにも耐えられない。早々に新たな部屋を探すことになり、見つけたのが雰囲気たっぷりの古い屋敷である。所有するミズ・コリンズ(ダイアナ・リグ)が、こんな古い家は若い人に合うかどうかと心配するのをよそに、エロイーズはこんな部屋にこそ住みたかったと喜ぶのである。