フジロックと忌野清志郎
大型台風が直撃した第1回の翌年、豊洲の東京ベイサイドスクエアで開催された「FUJI ROCK FESTIVAL’98」。清志郎は「忌野清志郎 Little Screaming Revue」として1日目のグリーンステージに登場する。グズついた天気だったが、清志郎が「雨あがりの夜空に」、「サンシャイン・ラブ」を歌い出すと、陽の光が射してきた。
その日の大トリのイギー・ポップ、ビョーク、ひいては翌日の2日目のため、体力を温存していた私は、会場の後ろの芝生の上で「本当に晴れてきた。すごいね大御所は」なんて言いながら、冷めた目線で友人と一緒にダラダラとビールを飲んでいた。今思えば、贅沢な時間だ。
「世界中の人に自慢したいよ」、「裏切り者のテーマ」、「ドカドカうるさいR&Rバンド」と、続けて聴いていると、”イキがったりビビったりしてここまで来た”自意識の塊で冷笑系大学生だった私もステージに向かって「Yeah!」と自然と言えるようになる。ラストの「キモちE」が、かかるころには”最高”な気分で立ち上がってた。本ドキュメンタリーのなかで、作家の角田光代が語るように、清志郎が書く歌は「聞き取りやすくて、言葉として届く」のだ。

清志郎は、この第2回から第9回の2005年までほぼ連続でフジロックに出演する。苗場に会場を移した1999年には、フジロックのテーマソング「田舎へ行こう! Going Up The Country」を提供。同曲は毎年、会期中に毎朝会場で流れており、フジロッカーたちのフェス気分を盛り上げる大切な要素のひとつになっている。
2006年7月、喉頭がんが発覚し療養生活に入り、復活を遂げた2008年は、フジロックのステージに立つ予定だったが、それは叶わなかった。
翌年、「忌野清志郎 スペシャル・メッセージ・オーケストラ NICE MIDDLE with New Blue Day Horns」の名前で、仲井戸麗市、甲本ヒロト、真島昌利、トータス松本、泉谷しげるらが集結し、グリーンステージでトリビュートライブを行い、清志郎の歌がフジロックに響いた。
2021年には、池畑潤二率いるROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRAをベースに、UA、奥田民生、甲本ヒロト、Char、トータス松本、YONCEらゲストを迎えた「忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVER with ROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRA feat. 仲井戸”CHABO”麗市」が最終日のヘッドライナーとして出演。2026年は、片平里菜、Nagie Lane、暴動クラブが電気楽器を使わないバンドを結成し、ゲストに藤原さくら、ROY(THE BAWDIES)を迎え「忌野清志郎 PEACE SONGS」として、平和の歌を届けた。
またフェスとは別に「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー Love&Peace」と題したメモリアルライブは、毎年5月の命日付近の開催で会場を変えながら、2011年から2019年、逝去から10年の区切りまで続けられた。本作に限らず、忌野清志郎に関わる作品やイベントに「故人」や「偲んで」なんて言葉はない。いつだって出演クレジットに名前があるだけ。これは、彼の歌を鳴らし続けることで、彼が生き続けているということである。本ドキュメンタリーでは、触れられていないが、忌野清志郎が、紛れもなく日本を代表するロックフェス・フジロックの象徴的存在であることは、ここに付け加えておく。
