「今日はお忙しい中、皆様お集まりいただきありがとうございます。この今の時代、“かくかく”が自らの目標に向かって‥‥」
時代は2019年。保守政党「民自党」から地方都市(「千葉12区」という設定)の選挙戦に出馬した新人候補・川島有美(宮沢りえ)が、事務所の用意したメモを見ながら初めての記者会見。“かくかく”という謎の言葉にマスコミの面々、そして選挙スタッフたちは一瞬ざわめく。だが彼女は空気の異変を察知することなく、堂々とした態度でスピーチを続ける。
「どのような政治が必要とされているのか!それは“かくかく”が次の時代に負担を先送りにしない‥‥国民の皆様が“かくかく”感じておられる‥‥」
また言っちゃったよ。もちろん“かくかく”の正解は「各々(おのおの)」である。
この爆笑(失笑?)シーンを観ながら、日本で暮らす我々は、誰もが現実のエピソードを思い出さずにいられない。そう、いつしか“漢字の読めない政治家”は、我が国特有の政治ゴシップの定番ネタになった感があるからだ。そして槍玉に挙げられてきたのは、なぜか必ず、親や祖父母など先行の親族が作った選挙区での地盤を継承して当選した、いわゆる「世襲議員」たちであった。
ほんの一例を挙げてみよう。2017年1月24日、当時、内閣総理大臣として異例の長期政権を継続中だった自民党の安倍晋三議員が、国会答弁で「云々(うんぬん)」を“でんでん”と繰り返し誤読したことがインターネットを中心に話題となった。“かくかく”と“でんでん”。うむ、確かに似ている‥‥。
1986年生まれの俊英・坂下雄一郎監督のオリジナル脚本による傑作『決戦は日曜日』は、なにかと忖度(そんたく)しがちな日本の風土には珍しく、攻めた笑いに満ちた素晴らしいポリティカルコメディだ。例えば戸別訪問のシーン。川島有美が一般住民の話を聞いて、「なるほど、わかります。つまり用水路にお年寄りが落ちそうで危ないと。ということは、お年寄りが落ちた用水路は危ない用水路ということですよね?」と受け答えするところは、小泉進次郎議員が同じ意味の言葉を繰り返す通称「小泉構文」(「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている」等々)を連想させる。また続いての訪問先で、無職の男性に「え、じゃあ今まで何してたんですか?」と川島有美が口走ってしまうところは、麻生太郎議員が東京・渋谷区のハローワークを訪ねた際の自己責任論的な炎上発言(ただしメディアが発言全体の一部を強調して切り取ったもの)を彷彿させるものだ。
他にも「出産しないなんて怠慢」という、柳沢伯夫厚労相(当時)の「女性は産む機械」に連なるような少子高齢化問題をめぐる失言や、豊田真由子議員(当時)のパワハラ報道に倣ったような秘書への罵詈雑言など、具体的な顔が次々と思い浮かぶ有名なお騒がせ系時事ネタ――珍騒動やスキャンダルのパロディが「縮図」のように随所に詰め込まれている。
しかしこれらは決して表面的な揶揄の域ではなく、健全な毒を含んだ王道の風刺として深々と刺さってくる。それは我々が国民として感じている問題の本質を的確につかんで、鮮やかに戯画化しているからだろう。そして『決戦は日曜日』が鋭くえぐり出すのは、日本の政治状況を覆う「空疎さ」ではないかと思う。