Oct 17, 2023 column

いまに響く猪木問答 ドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』 

A A
SHARE

おめぇはそれでいいや

猪木は、試合に、その生き様にメッセージを込めてきた。メッセージの受け取り方は受け手に任せて、強要はしない。だからその真意を誰もが知りたくなるのだろう。

本編では、神田伯山が1987年10月4日「巌流島の戦い」の講談を無観客の巌流島で披露している。

選手が新日本プロレスから大量離脱、自身の離婚問題、事業もうまくいかないなか、起死回生の一発として行われた、マサ斎藤との死闘は、時間無制限、無観客、ノールール。伯山は、猪木を評して「発想もなにもかも先駆者である」とし、「すごいことをしているのに過小評価されている」と語る。

神田伯山が決戦の地で講談をし、猪木と対峙したように、安田顕は写真家の原悦生との、有田哲平は棚橋弘至との対話で猪木と対峙している。ファンが関係者を通して、自分の中のアントニオ猪木と対話し、そのイメージ像を確認しているような構図は面白い。

対話といえば、本編中盤、このドキュメンタリーの根幹だと思われる出来事の映像が流れる。2002年2月1日、札幌大会での俗にいう猪木問答だ。

この1カ月前、エースの武藤敬司が退団し、若手の小島聡、ケンドー・カシンを引き連れて全日本に移籍するという大事件が起きたばかりだ。

当時PRIDEやK-1といった格闘技が台頭しはじめた時代。プロレスのリングに格闘技のファイターを上げたりと新日本プロレスは模索していた。そんな中、純粋なプロレスがしたいと武藤は離反し、残った闘魂三銃士の蝶野正洋が会社に対してクーデターを起こしたことがきっかけだった。そこに蝶野は会長であり神である猪木を召喚し直談判したのだった。

「俺は怒ってる、今日は。世の中が怒りを忘れてしまった時代に、俺たちがリングで本当の怒りをぶつける。みんなに伝えるメッセージなんだ。新日本イズムとはそういことだと思う。違いますか?」

当時の新日本プロレスを引退し格闘技プロデューサーとして活動していた猪木。観客が蝶野にプロレスを期待していることを確認した猪木は、誰か他にヤるやつはいないのかと問いかけた。するとリングに詰めかけた永田裕志、中西学、鈴木健想らは猪木に怒りをぶつける。

が、煽っておきながら正面からぶつかることなく、はぐらかすように言葉を返し、終いにはこう言い放ちビンタする。

「それぞれの思いがあるからさておいて。おめぇたちが本当に怒りをぶつけて、本当の力を叩きつけるリングをつくるんだよ。俺に言うな。3、4年だ、引退して。てめえたちの時代、てめえたちの飯の種くらい自分で作れよ、いいか」

20年前、このやりとりをニヤけながら見ていた人は少なくないだろう。この猪木問答の正解はなんだったのか。だが、2023年の今聞くとどう聞こえるだろうか。我々は憤りを糧に本当の力を叩きつける場所があるだろうか? 自分の仕事くらい自分で作れているだろうか? あの頃の猪木にいまの我々が問われているような気がしてならない。

この猪木問答に「俺は新日本のリングでプロレスをやります」と答えたのが、現在新日本プロレスを牽引する棚橋弘至だ。

2000年代後半、新日本が苦しかったとき、猪木の家を改築した野毛道場には、若かりしアントニオ猪木の等身大パネルがあった。それを外したのが棚橋だ。

「猪木さんを離れないと次に進めないと思った」

そう当時を振り返る彼が、時を経て「今だったら何の抵抗もなく受け入れられる気持ちになっている。猪木さんが亡くなったのもあるけど、これから新日本プロレスを見守ってほしいって気持ちがある」といい、加えて「これから入ってくるレスラー志望の子たちは猪木さんを知らない世代ですけど、猪木さんがいることによって感じる部分があるときっと思うので戻します。生き様だったり、闘魂だったりが必要だと思ったので、戻します」と猪木を掲げることを明言する。

これを見た有田哲平は、猪木を尊敬して噛みついた、長州、前田の系譜を棚橋も引き継いでいると言う。

プロレスには歴史という名前では片付かない、エモーショナルなストーリーがある。かつて、所属団体から抜けた猪木。新たな団体を立ち上げるも、そこから巣立っていったものもいる。そして、神という存在だったことを知らない世代がいま育っている。

2016年入団の海野翔太は、猪木のことは知らないが棚橋の方が自分にとって偉大だという。そして彼に猪木問答をすると「怒りはない。怒りはエネルギーにならない。プロレスを広げよう。新日本でドームツアーや国立競技場でプロレスができるよう、そこまで持っていく」のが目標だと語る。これを聞いている、寂しそうな棚橋の表情が非常に感慨深い。